2017年8月17日 (木)

Needs

アグニホートラ瞑想
ダイナミック&歌い踊り瞑想
マルマヨーガ
そして最近の
Living on Prana-プラーナで生きること、、、

どれも私にとっては
それぞれが大好き&有機的に関連しているとても奥深いヨーガの研究テーマで、自分のために日々取り組んでることだけど、
なんて世間一般的にニーズがないんだろうか。
もっとそれは面白い!と分かってくれる人が地元にいると思ってたので肩透かしなのである。

(それぞれフェイスブックにページを作ったがアグニホートラはインド人がたくさん入ってくれてるがそれ以外は少な、、)

道無き道を歩む魂の青写真の
人生だと自覚はして
海の底では繋がってる安心感はあっても
疎外感と孤独感はデフォルトなのだ。

減量 ダイエット 美容 若返り 健康増進というのはあくまでプラーナ操作のヨーガの【副産物】であって、
それを目的にしてやると最初はモチベーションは上がるメリットがあっても
結果的に執着になり本末転倒になって
新たな生き地獄に陥るだけなんだけど
目先のことだけ、表面的なことだけで
だれもそこまで考えてないのだが
死とともに置いていくものに執着するのはバカバカしい。

それを周知した上で、
肉体という精緻な楽器のコンディションを最高に高めることで精神的にも良い影響で、残りの地球上での人生を積極的に前向きにエンジョイする、
心身の基礎を築こうとするなら、ヨーガは大いに役立つことは間違いない。

そういった意味でのヨーガ教室、
実際に減量や若返りの結果も出せる教室だったらやる意味もあると思う。

BGM
yoji biomehanika-Needs

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2017年8月14日 (月)

インドとローフード

欧米発のローフードとインドに一見関連なさそうだが
安全に100%プラーナ摂取になる前段階として果物だけ摂取するフルータリアン、
水だけのリキッダリアンというプロセスがあるので
あるヨギの自叙伝に出てくるような
インドの不食のアセンドマスターとも実は大いに関連はするのだ。

最近、物理的な食物を食べるのはかなり減ったが、そのぶん俄然ロー・ヴィーガン かつリヴィングフード(発酵食を取り入れた生菜食 )の料理が楽しくなってきた。

先日思い切ってミルサーを購入して
鹿児島で購入した生ピーナッツにバジルやディルやら混ぜ込んだマヨネーズ風ディップを作ったが、塩分控えめでも感動的に美味しかった。

毎年パクチーはじめハーブの大量の収穫物の利用に悩んできたのもこれで解決できそうである。

10年以上前に一度息子のアレルギー対策で最新の酵素栄養学は学んでいたが
改善してからは、畑で新鮮な野菜を調達できるようになり、身土不二を無視した欧米発のローフードよりも
日本人なら和食。
ホカホカご飯に味噌汁、とれたて野菜でシンプルなおかずや漬物がやっぱり簡単で一番。
オニギリ万歳 漬物万歳 瑞穂の民に生まれてよかったと、
たまにバイキングやエスニック料理を
食べ盛りの息子と外食するのが楽しみだったがこの4-5年そんな生活で体は膨張していく一方。

あれだけ忌み嫌だった中年太りをダボダボな服で覆い隠して体重計は怖くて乗れなかったのだ。

改めて飽食の時代を満喫できることに感謝しつつローヴィーガンなどと縛り(制限)がある方が、料理の創造性が高まるというのもこれまたパラドックスだが俳句などもしかりではないだろうか。

菜食というと意識高い系などと揶揄されたり、
好き嫌いせず何でも食べるようにと戦後の食糧難の時代の飢餓感がベースにある世代の親からは、全く理解されない。
人は自分の制限された価値観で人をジャッジする。
食べない人は、食べるも食べないも選択の自由だと分かっているが、
食べる人は食べない人に対して非難する傾向があると思う。

私は肉食な親の元で、子供の頃から重度の皮膚炎に苦しんだ。
爛れたアトピー性皮膚炎の原因が肉や魚を私の内臓は消化できずに毒素となって皮膚から膿んで排出されていたなどと教えてくれるひとはいなかった。

けれども今は親に世話にならずに自立してるのだから、
摂取したものが体を作り、心にも影響することを誰にはばかることなく遠慮することなく、人体実験して自分のため家族のため料理も楽しんでいきたい。




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2017年8月12日 (土)

プラーナという糸で連なる首飾り

ヨーガを体現している
実際にそれを生きてる人は説得力がある。

これまでの人生でそう思える人に実際に会ったのは45年生きて来て
一人しかいなかった

(私が18歳の時TM瞑想の個人指導をしてもらった先生はまだ20代だったと思われるがそうだった)

雰囲気に声に表情に全てが一目瞭然だった。

女性でそう思えた初めての人物が
ジャスムヒーンさんだったと言える。

写真だけだったら
あるヨギの自叙伝の
アーナンダモイマーさんが
そうかもだが
実際に会って感じた訳ではない。


人間は老いて死んでいく一方と、
地球環境破壊の進む狂った世界で生きる意味が全く分からなかった15、6歳の頃の自分へのアンサーは内側にあった。

プラーナ栄養摂取に移行したからこそ
料理も楽しいとは、なんというパラドックスだろう。

誰かが金八先生よろしく言ってた。

♪人は悲しみが多いほど人に優しくできる♪と

人生は矛盾に満ちた不可思議なパラドックスだ。

ここ10年来の欧米発 の
ローフードの流行とヨーガが
クロスしていたのには
インド系ヨーガの人には軽薄すぎるしアーユルヴェーダは古典では肉食ありの加熱食推奨でなので敬遠する人も多かったと思う。
しかし今!は21世紀。

私はこれまで古ければ古いほど
普遍の知識で信用に値すると
アーユルヴェーダを実践していた。

息子のアレルギー改善のために酵素
栄養学を学んで
生で食べることや食べ合わせを
取り入れつつも基本はアーユルヴェーダだった。

しかし、アーユルヴェーダを長年実践してる人で、外見で私を納得させてくれる人にはついぞ出会えないのである。

中年移行、速度は遅くとも老化も人並み 白髪に薄毛 しわしみ インドの御婦人のようにでっぷり肥え出す。

私も一時期は太めでも豊穣なインド人みたいで喜ばしいと思ってたが、今はそうは思わない。

肉感的な太い体に美しい布が巻きつくゴージャスなインド系ファッションにも憧れたが本来の自分はもっとシャープでパンキッシュなスタイルが好きなのだ。

アーユルヴェーダとヨーガは
同じインドの知識から生まれた姉妹とはいえどもよって立つ場所が、
目指すところがオクターブ異なるから
混同してはならない。

私は姉がいて全くタイプは違うため
子供の頃は比較され姉を羨むことも多かった。
今は仲はいいしお互いの良さを認め合って自分にないところで助け合いリスペクトしてる。
アーユルヴェーダとヨーガも本来そういう関係なのだと思う。

神と、無限と一体化したアーナンダ(至福)の状態。
溢れ出る愛の海に溺れながら、生死を超越するのがヨーガの究極であろうが、

アーユルヴェーダでは一般的な若返りや長寿法であってヨーガのような非社会的なことを目指してはいないのである。

それにしてもヨーガとアーユルヴェーダひとつ取ってもこうも異なる
事柄がプラーナという見えない糸で連なり、これまで混乱し絡まりがちだった一つ一つのパーツが
それぞれが輝きを補い合うのに
長い年月がかかった。
今後はこの美しい見えない宝石のネックレスを首にかけていこう。



























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