2017年11月14日 (火)

微生物を知ると知らないのでは
地球で生きるのに雲泥の差があると最近しみじみ思います。
人類は大気、水、土壌を汚し、
環境破壊するだけではない、
と思うことができます。

やってることはごく小さくても
心に大きな喜びを与えてくれるのは
アグ二ホートラも同じです。

一網打尽に消毒して無菌にしてしまうのではなく、
有用な微生物の力を利用し、工夫することを15年前に知り、お米のとぎ汁を発酵させて洗濯や掃除、園芸に利用するようになり、仕事上でも安心して使えるものでした。

食べ物も漬物、味噌や醤油、ヨーグルトなど発酵食品がありますが
最近、塩麹を調味料に使うととても美味しかったので改めて麹から甘酒も作るようになりました。

温度管理の簡単な甘酒メーカー
を購入しようかとも思いましたが
瞑想者愛用の(瞑想してる間に料理ができる)保温調理器・シャトルシェフが活用できます。

甘酒は、ヴェーダで言われるソーマ(霊薬)に近いのではと思います。
見た目はどぶろくに近いようですが
アルコールもなく、乳製品・砂糖の代用として、また発酵を助けるものとして、小麦粉を練って置いて冬場はコタツにでもいれておけば、
フライパンで焼くだけで
いつでも美味しいチャパティができます。

元々インド料理が好きだったので
20年以上ベジタリアンとはいえども日常的に乳製品も糖分もたくさんとってましたが
今年7月からヴィーガンに移行し、乳製品と糖分両方が減ってきた中で、甘酒は両方に対応できるのです。

日本の食料自給率はとうとう40パーセント下回りしました。
私も以前に比べると御飯を炊いて食べることは減ってしまいましたが
その分、甘酒を作って、地上での残りの生活を楽しんでいきたいと思います。









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2017年10月21日 (土)

似て非なるもの

推理小説のネタバラシが先にあったら、感動も半減するのかもしれません。

答えのわかってるクイズも、正解した喜びは味わえないとは思います。

謎だから、謎解きは面白いのです。

それでも、この世に生を受けた意味がわかったときには、これまで目的地のない電車に乗っていたような、目隠しして歩かされてきたような、ひっかけ問題に苦悶していたように思えてしまいました。

インターネット見せるには親は子に
年齢相応にフィルターかけるのと同じで、時が満ちたときに人間は真に生まれてきた意味をしるのかもしれません。

人生は謎解きゲームだという意味がやっと理解されました。

それ先に教えてくれたらもっとラクに生きれたのに 、、と思いましたが
考えてみれば、これまで誰かの言葉だったり本から、真に生きるとは真に死ぬこととみたり、的な逆説的なことはよく見聞するものです。

しかし単なる、生まれてきた人間全員に宿命づけられてる死ではなく、
似ていても180度違う死に方をするために生まれてきたということは、
前世というものがあるなら、次こそは!と思ったのかもしれません。

自殺願望と、自らの意思で魂の故郷へと戻っていくマハサマーディの成就は、似ていても、真逆に百八十度違います。

飢餓とプラーナで生きてることも、物理的な食べ物を食べないのは同じでも、恐れと幸福感という全く真逆の異なる意識状態です。

世界平和も、不安や恐れから武器や兵器で武装した争いのない状態と、無敵性故に武装の必要性から解放されたワンネスの意識状態は似て非なるものです。

そのような状態へ人類が進化していく今は途中ではありますが、数百年後には、実現している未来を思い描いていきたいと思います。






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2017年10月16日 (月)

10/6以来のアグニホートラ日誌です。
日々、書きたいことは溢れてきますが
視力回復のためにディスプレイを見るのをできる限り必要最低限にしているので、今後長文での投稿は減っていきそうです。

そのぶん、日々の生活で出会う人や身近な家族との付き合いの中で、私なりに伝えたり表現していきたいと思います。

先日誕生日で46年目迎えて、やっと
自分の生まれた意味、魂の目的がわかったことが、とても落ち着いた気持ちにさせてくれました。

誕生日が嬉しいのは子供のうちだけで
20歳過ぎたあたりから歳をとることは死に近くづくことと、あんまり嬉しくなくなって来る方が多いと思います。

私の場合は15、6の時にはそれが出てきて、18歳を迎える前にはかなり絶望的だったのを覚えてます。

今風に言えば中二病なのかもしれませんが、大人になりたくなかったのです。

当時チェルノブイリの原発事故があったりして、地球環境のおかれてる状況を知って、厭世的なノーフューチャーになっていったのもあります。

けれども、若くしてこの世をドロップアウトすべく、ドラッグで死んで行くパンクロッカーのようにもなれず、
なんとか、生老病死を繰り返す牢獄のような人生から、抜け出す秘策があるんじゃないか、という揺るぎない直感がありました。

そのためには学校に行く時間がとてつもなく無駄に思えて、探す旅に出るべく高校3年の夏休み前に中退したのです。

シュタイナー教育を偶々、高校の現代国語の副読本通して知ったのが大きな天啓でした。

それから瞑想を習い、海外にもいくつもりが、母が癌でその1年後には亡くなり、留学への意欲が有耶無耶になって、東京の美術学校に籍を置いてアルバイトしながら、たくさんの本を読み魂に響く音楽を探しました。

当時住んで働いてた、中野〜東高円寺 北新宿あたりはそれをするのにぴったりな環境で、古本屋やレコード屋を周りながらサイケデリックに設えた古アパートの部屋で一人暮らしを満喫しました。

しかし15、6で始まった生老病死への漠然とした恐れは毎年誕生日が来るたびに根強くなっていきました。

基本的に孤独なのですが、
祝ってくれる人がいても
ますます孤独感が強まるのです。
一年で最もおめでたい日がちっとも
おめでたいとは思えない、
人と違う考えの自分に、孤独と分離感がマックスに高まっては落ち込むのです。

時間が1分1秒進むのが死へのカウントダウンに思えていてもたってもいられなくなり、
大抵、布団の中で死体のポーズで、
頭を空っぽにすべく、やり過ごすのです。

そう言えば高校生のときも、学校に行きたくなくて、親が出かける頃コッソリ戻って、制服も脱がずに死んだように
死体のポーズで布団の中でじっとしているのが至福でした。

まだ瞑想もヨーガも習う前ですが、どんだけ死体のポーズが好きなんだっ(笑)

生まれついてのヨーギンなのでしょうか。

そんな感じで、結婚しても子供ができても、美味しいもの食べても、誕生日というのは自分がこの世に生まれてきた儚さ、無意味さがクローズアップされる虚しい日に変わりはなかったのですが

今思うとまさに、暗闇に直面すべき魂の青写真を思い出す、真に祝福すべき前夜が毎年巡ってきてたんだな〜と思います。

なぜなら、やっとですが
最近、自分が生まれてきた意味がハッキリ分かり、言語化することができたんです。

これまで超越瞑想、ヨーガ、音楽、アート、(好きなのは昔からピーターマックスとアウトサイダーアート)ワンネス寺院に アグニホートラにオショーの瞑想に プラーナで生きること、最近はそこからヨーガナンダさんの本も読んで人間の可能性に開眼してましたが、
私が心から望んだ【生きる智慧】を学ぶように導いてくれた、大いなる存在が、いつも私を守護してくれて養ってくれてたことが明確に確信されたんです。

それらがなんのためなのか?
という究極のところがわかって今
とてもスッキリしてるのです

学校の勉強も目的があって始めて学ぶ意義が出てくるのです。

大学受験のための高校の授業や試験は、自分の本当に学びたいことは、既存の大学にはないことが分かってた私にとって無意味極まるものでした。
だからこそ、シュタイナー教育に衝撃を受けたんだと思います。

私は今、これまで様々に自分が興味持ったり導かれたことの目的が分かりました。
それはまるでコインの表裏のように
すでにあるのに背面で気付かれなかったのです。

ハッピーに生きることを切望した
B面だったわけです。




































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