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2011年4月23日 (土)

古代神聖幾何学の秘密

「内なる子供に捧げます」

出版社からの説明より: 話題を呼んだ『フラワー・オブ・ライフ 第1巻』の続編です!
壮大なる宇宙と自己の神秘を探求する、
神聖幾何学、ピラミッドのイニシエーション、マカバ瞑想法、三相の自己、ルシファーの実験とシリウス人の実験、次元のシフト、新しい子供たちの登場などさらに壮大なる宇宙と自己の神秘が明かされます。
マカバを使って、次元を超え、宇宙を超越する方法を公開しています。    

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2011年4月16日 (土)

自然からのギフト

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エメラルド(コロンビア産一級品)計5ctUP/ダイヤモンド取り巻き/K18ペンダント

宝石鑑定士は、真贋を見抜くためのトレーニングとして、ひたすら本物の宝石をたくさん見続けます。にせものと本物を比較もしますが、にせものをどれだけ見ても、本物を見極めることはできないのです。本物に触れ、数多くみることで感覚は養われていきます。

よく銀行員の方など、たくさんのお札に触れる職業の方は、偽札があれば、直感で分かるというのと似てるかもしれません。本物を数多く知ることで、微かな違いを感じられるのだと思います。

当方で購入された方からはよく、「ラクシュミの石を知ったらほかのお店では買えない」「仕事で海外で安く買えるチャンスがいくらでもあるが、全く買う気はしない」「持っていたものをほとんど処分した。ラクシュミの石ひとつで十分。」「一線を画する。明らかに違うのでほかでは買えない。デザインも希望を聞いてもらえるので」「ダイヤモンドはよく売られているが、こんなに輝くのは見たことない 同じ石とは思えない」・・・等の感想をよく頂きます。

十年、二十年前に購入された方から、りフォームや修理でお預かりする機会も多く、久しぶりにお会いし、近況をお伺いするのも嬉しいものです。一生を通してお守りとして身につけていただくために、品質、価格はもちろん、ジョーティシュの処方として注意すべき点、守るべきことがあります。ジョーティシュ・ジュエリーと冠するからには、目に見えるところだけでなく、見えないところも、直感で感じていくトレーニングが必要です。その違いを実際に身につけた方は、体験として理解してくださっているのだと思います。

ジョーティシュではバースチャートから、個人的に身につけるべきカラット数が処方されます。一般的なジュエリーの観点から見ても大きめの石になり、石自体に素晴らしく煌くパワーがありますので、デザインは極々シンプルに希望される方が増えてきました。

余分なものをそぎ落としながら、デリケートな石を保護し、一生身につけるだけの耐久性を備える必要があります。絶妙なバランスで石を最大限生かすことで、身につける人に至福に満ちた歓びを与えるのです。

宝石や貴金属は宇宙エネルギーが結晶された、地球の母なる大地、海から人類への美しい贈り物です。「形あるものはいずれ壊れる」ことを今回の震災でも思い知らされました。だからこそ、この大自然からの類まれなるギフトを大切にしていきたいと思います。


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純銀100%製パドカの試作品がついに出来上がりました!!現在、地金相場が上がっているため、できる限り軽く、廉価にご提供できるように職人さんとも打ち合わせしながら製作しています。写真はもっともシンプルなものです。これに、模様をいれたものも今製作中です。詳細は近日じゅうにお知らせします。

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2011年4月13日 (水)

いまこそ瞑想を

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 1991.9.11アメリカの同時多発テロ以降、影響を受けた人々に大きな価値観の転換、パラダイムシフトがあったといいます。私はこのとき、仕入れ先のタイ郊外の田舎町にいました。休憩に入った素朴な飲食店の天井に取り付けられた、映りの粗い小さいブラウン管から、ビルに突っ込む旅客機と、なすすべもなく命を失う人々びとの映像が流れ、お店にいた人達みなと釘付けで、呆然と見ていたのを思い出します。

危険は身に迫ってみてはじめて実感されると思うに、先日の「3・11」の地震時、私は東京、五反田のショッピングセンターの13階にて、ビル倒壊と死を、人生の終わりを瞬時に覚悟したほどのひどい揺れの中にいました。ビル高層階せいか、まるで大荒れの船に乗ってるかのごとく建物全体が右に左に振り子のように傾くほど大きく揺れ、天井の大きな蛍光灯が、恐ろしいくらいに右に左にぶんぶんと大きくゆれ、今にも頭に落っこちてきそうでした。窓ガラスの割れそうなミシミシ、バリバリと軋む反響音、ごった返してた買い物客の金切り声、叫び声、悲鳴ともいえない悲鳴が上がり、まるで恐怖のパニック映画のようでした。

そのビルの地下は飲食店街が密集しており、、火が周る可能性に恐怖を感じたとき、幸いゆれがおさまりはじめました。非常階段で地上に下りてやっと生きた心地がしましたが、駅に向かうと案の定JRは停まっているも、まだ地震の規模、東北で何が起こっているのか、何もわからず、多くの人が駅周辺で待っている中、私も近くで座れるところを探して、電車の再開を待ちながら、静かに内側を観る瞑想をしていました。日がくれ、風が強くなりましたが、防寒着を運良く近所で購入することができ、歩いて帰宅する人の流れにのって、家に向かって(八王子までは気の遠くなる距離ですが)歩きだしました。

小さな子供づれ、お年寄りは気の毒で、寒風吹きすさぶ夜道に震えながら、来ないバスを待つ人の群れは何十人もの列をつくり、道路は大渋滞でまったく進まず、途中道沿いのコンビニの棚はどこもからっぽ、途中寄った渋谷駅の溢れかえる人・人・人、の非日常的な状況のなか、遠く離れてすむ親兄弟や、中学時代の同級生まで、安否の連絡をくれ、励ましが一人で歩いていく力になりました。

京王線が深夜再開しだし、大混雑の中、幸い途中から電車で帰れました。非常にゆっくりな運転ではありましたが、深夜2時近く家に到着し、電車に乗れるだけでも幸運でしたが、五反田を出発から12時間かかったことになります。

電話は繋がらず、メールも次第に送受信できなくなり、帰宅難民のための情報もわからず、心細くもあった長い一日でしたが、疲労感はなく、普段瞑想していているのが心の落ち着きに役立ったと思います。

次の日、ニュース等みて、事の甚大さを知るのですが、この地震を境に私は、日常は砂上の楼閣の安全で不確実なのだと、「形あるものはいずれ壊れる」現実に、突如として目を覚まさせられ、何かが内側で大きく変わりました。

生活も一変したほど、今回の原発事故は大変深刻ですが、チェルノブイリが問題になった中学3年生ころ、多感な時期に、人間が発展のために環境を破壊しつづけることを知り、深く絶望しました。日本でも反対運動もあったはずですが、いつの間にか、地震大国の日本に有り余るほどの原発が作られ、海外にも輸出、クリーンエネルギーと謳われ、世界各国で原発推進機運が高まりつつある、その瀬戸際に今回の事故がありました。

「原発は核の平和利用」は欺瞞だったとしても、経済発展を願い真摯に開発、研究した人々、現場で作業し働いてきた多くの人を非難することは、今はできません。犠牲になった人びとや現在も過酷な状況の中必死に作業をしている方のことを思うと、胸が痛みます。しかし、多くの犠牲をはらったこの教訓を真摯に受け止め、歪んだ原発依存から、持続可能な自然エネルギーに本格的にシフトしていく分水嶺にしなくてはなりません。

http://peacephilosophy.blogspot.com/p/blog-page_31.html

福島原発事故についての緊急建言:「ここにこれを掲載するのは、原発を推進してきた人たちを応援するためではなく、この人たちさえ、ここまでの危機感を持っているということを知らせるためです。」 Peace Philosophy Centre

これまでも、識者の方々がスピリチュアル、科学的両方の観点から、今の地球の危機的状況を呼びかけてきました。共通するのは、今は長い歴史的にみても地球が破壊的な環境汚染から大きく変換するときで、特に日本には優れた技術があり、大きな役割を持つといわれてきました。

次元上昇(アセンション)、フォトンベルト、太陽フレアなども以前から諸説あり、真偽のほどはまだ分かりませんが、今の状況は大きな変革の始まりであり、地球環境は一人一人の人間の心にもリンクしていることだけは確かといえます。

このような状況の中、プロセスとして私達の内側にチャージされてきた恐れ、怒り、不安、苛立ち、悪意、妬み、罪悪感など否定的なことも、堰を切ったように、たくさん噴出してくると思われます。

特に、最近の政府による、ネットによる言論統制の布石となるような流れ、正義という名のもとに人々がお互いを監視しあうような空気の中で、自粛を強い、不謹慎と非難する「同調圧力」の風潮は、まるで戦前を思わせるとの懸念が出てきており、まさに小説「1984」にて、超管理社会・監視社会を描いたオーウェルの予言を彷彿とさせます。実際に被災した人に限らず、心の不調、うつ症状も段々と増えているようです。

破壊的なマインド(思考パターン)のトリックに気づいて、沈黙の中で内なる静寂さ、平安さに戻り、心の乱れを観て、自分や他人を傷つけず、否定的な感情・情報に呑まれないで、未曾有の状況の中で前向きに生きていくために、メンタルヘルス、心身のセルフケアが今こそ求められています。

本来の瞑想はそのための自然で安全、確かな方法です。宗教・宗派・信条等と関係なく、子供からお年寄りまで誰でもできます。本などで自己流ではなく、経験豊かな信頼できる指導者に最初習えば、その後は一人でできますが、グループで行なうことで同調し、さらに深まります。

楽趣美でも毎週火曜日を瞑想会として定期的に開催することにしました。(木曜日はこれまでどおり、プライベートなヨガやワンネスブレッシングを主にしたセッションになります)未経験者の方でもOKです。こちらからどうぞ詳細



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2011年4月 2日 (土)

お知らせ

お知らせ

今回の災害により関東一帯も情勢不安、計画停電のため、
臨時休業いたしておりましたが、4月1日より通常営業しております。
なお、オーダーの加工等でご注文いただいている方には
順調に進めておりますのでご安心ください。


OSHO講和より(チェルノブイリ原発事故時の質疑)
質問 愛するOSHO
このところ私は地面が自分の足元で、崩れていくような感じをよく味わいます。私にはまるで私が愛しているもの、或いは過去に私が愛してきたものが、すべて壊れていくように思われるのです。最近ソビエトで起こったあの原子力発電の大惨事は、すべてがどれ程はかなくまた束の間のものであるかということを痛い程はっきりさせてくれました。両親、息子、兄や妹、友達そして愛する夫・・すべてが危険にさらされています。今この瞬間しかないと考えることは、私にはとても辛いことです。私はおそるおそる自分に「次には一体何が起こるのだろう?」と訊ねています。でも、誰が誰に訊ねているというのでしょうでょう?すべてが余りにも不条理で余りにも空しく思われます。時には自分が気が狂うのではないかと思うこともあります。愛するOSHO。これは成長の一部なのでしょうか?それとも病気に過ぎないのでしょうか?

●OSHO●大災害というものは、人をあるがままの現実に目覚めさせる。現実は常に壊れやすいものだ。誰もが常に危険にさらされている。ただ平常なときは、ぐっすり眠りこけているために、それが見えないだけだ。来るべき日々に対して、将来に対して、夢を見続け、素晴らしいことを想像し続ける。だが危険が差し迫ってきた瞬間には、人は突然未来はないかもしれないということに、明日はないかもしれない、自分には今この瞬間しかないということに気が付く。だから、大災害の時というのは、非常に啓示的なものだ。大災害は、この世に何一つ新しいものをもたらさない。それはただ、あるがままの世界に気づかせるだけだ。それは人の目を覚まさせる。それを理解しなければ、気が違うことも有り得る。それを理解すれば、目覚めも起こりえる。

(中略)


この瞬間をどう使うかは、その人次第だ。恐慌に陥ることもできれば、気が違うことも有り得る。恐怖にしびれ、涙にくれることもできる。だがそれでは、自分の家族にも、自分の友達にも、或いは自分の愛する者にも、何の役にも立ちはしない。それは自分にとっても何の役にも立たない。

このロシアに起こった災害は、まさに少しでも知性のある人間なら、自分の時間をもっともっと瞑想にささげ始めることができるような状況をつくり出した。何しろ本当に、明日が不確かなものだからだ。それは常に不確かだったのだが、今となってはそれはこれまで以上に不確実だ。

この災害は、これから起こる一連の災害の始まりに過ぎないかもしれない。こういう原子力発電所は全部、決して本質的に安全なものではないからだ。もし何かがまずく行ったら、そして今や我々は、一つの発電所がまずく行ってしまったことを知っているのだが、そうなったら彼らにはどんな力もない。彼らはただ無力なのだ。彼らは自分たちがつくり出しているエネルギーを制御することができない。同じ災害がアメリカにも起こり得るし、ドイツでも起こり得る。

焼失したこの発電所にすぐ並んで、同じ年齢の発電所が二つある。その二つは、同じ時期に同じ設計で作られたものだ。それには同じ欠陥があるに違いない。直ちに二つ目の発電所が飛ぶという可能性はいくらでもある。そして三つ目もそう遠いことではないだろう。そしてそういう災害が、他の発電所で働いている何千人という人々に、恐慌状態を引き起こすことも有り得る。彼らは所謂その制御された態度というものを失うかもしれない。彼らはただ熱に浮かされたような取り乱した状態で、これまで犯したこともないよな過ちを犯し始めるかもしれない。しかもそれは、間違っとボタンを押しただけで起こりかねないことなのだ。

だが、人間はこれを大いなるときとして用いることもできる。私たちはみんな、常に危険にさらされている。あなた達もこの古いことわざを知っているだろう。「誰がために鐘は鳴る、と尋ねることなかれ。そは、常に汝がために鳴るものなり。」と。誰かが死ぬと、教会の鐘が鳴って、村中にそれを知らせる。だが決して、その鐘が誰のために鳴っているのかを聞きに人をやってはいけない。その鐘は常に、汝のために鳴っているのだ。というのだ。たった今死んだのが誰だとしても、その死はすべて自分の死だ。なぜなら人の死はすべて自分は永久にここにいるのではないということを思い出す縁(よすが)だからだ。人の死はすべて、目を覚ますための機会だ。

死がやって来る前に、死を超えたものを達成するために、生の機会を使いなさい。心配しても仕方がない。そんな事をしても、この瞬間を見逃すことになるだけで、誰に役にも立ちはしないからだ。しかも危険にさらされているのは、自分の両親、自分の友人、自分の愛するものだけではない。全世界が危険にさらされているのだ。それはただ、今日危険な目に合うものもあれば、明日危険な目に合うものもあるだろう、が、いずれにせよ危険はある。

としたら、その危険の超越の秘法を学ぶのだ。その秘密というのは、もっとトータルに、もっと全身全霊で生き始めるということだ。もっと油断なく醒めていなさい。そうすれば自分の中に、死の手を触れることのできないものを見つけることができる。それこそが唯一の避難所、唯一の防衛、唯一の安全だ。

そしてもしあなた達が自分の友人、家族を助けたいと思うなら、その人たちにこの秘密を教えてあげなさい。

今度起こったことは、これから何度も何度も起こることになる。原子炉か発電所は、非常に沢山あるし、それも技術ノウハウを知らない。技術的にはまだ牛車の時代にいるよな、ほとんど2、3千年も、遡ったような未開の国にまで設置されているからだ。(中略)

災害は起こらずにはいられない。これはほんの始まりに過ぎない。
目を覚ますためにこの機会を使いなさい。
「神秘家への道」 市民出版社より

ご参考
福島原発関連まとめhttp://www.fukusuma.byethost7.com/

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