« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月21日 (木)

生きた芸術

Yjimage_2ムトゥ踊るマハラジャより

「星は夜の女神(ラートリー)の全身を飾る宝石に譬えられている」という、、、

 ジョーティシュ処方による惑星の宝石ジュエリーはこの世における最高の装身具である。
魂の神殿である身に、創造主の美の化身を招き入れるように装着し、宇宙からの祝福をシャワーのごとく浴びることは神の恩寵以外の何物でもないと思う。
そういう自分も、つい何年か前まで、決して外から見えないように、隠すようにして身につけていた時期は長かった。



日本においては若くして(たとえ代用石であっても)石のついた本物のジュエリーを指や首に光らせることは目立つ。
 幼いときから子供の成長を祈って貧しい家庭でも、お守りとして子供にもアクセサリーを身につけさせるインド人と、通常、小中高と学校においてアクセサリー禁止(元々ジュエリーを身につける文化のない、和装では真珠と赤珊瑚は身につけられていたようだが)日本人にはアクセサリーに対する思い入れや培ってきた土壌が全く異なる。



校則がなくなった後であっても、お決まりのように若者は細~い切れそうなチェーンに小さなメレダイヤモンドなど目立ちすぎない皆と同じモノか、資産価値の無いブランドロゴを強調したアクセサリーであり、本物の価値あるジュエリーは年配向けか成金趣味の象徴と敬遠されてきた。



たしかに、ファッションをトータルで見たときに、和装は言うまでも無いが、洋装にジョーティシュで推奨されるようなサイズの宝石のついたジュエリーを全身に身につけたらバランスがとれない。
しかしインドでは古代から、リングやイヤリング、腕輪は二の腕のアームレット、手首のブレスレット、足首のアンクレットに頭、鼻、腰、足の指と日本人には名称すら聞いたことのないアクセサリーまで全身を金銀銅や彩り豊かな宝石で飾る。
お守りであるから、裸であってもそれらは身につけたままだ。単なるオシャレでつけているのではない。
本物の宝石と貴金属の持つ光は最高に縁起のよい吉祥さであり、病魔を退け、医学体系に取り入れられた実用品でもあり、芸術的な財産の運用を兼ね備え、特に女性にとっては親から子へと受け継ぐ命とも言えるでもあるのた。
インドでも都市部はジーンズなどのアメリカンカジュアルなスタイルなインド人が増えたが、サリーやパンジャビなどの民族衣装と煌くジュエリー、それを身につける人が三位一体となり調和して動くさまは生きた芸術と見とれるほど美しい。



Img8d416894jqlpcw
 数年前に、東京渋谷の代々木公園で毎年開かれるインド祭りに足を運んだ折に、そのような生きた芸術というべきインドの老若女性をたくさん目の当たりにした。
私が最後にインドの地を踏んだのは、2000年、その後息子が生まれて以来インドには行っていない。子育てに精根尽き果て、このジョーティシュジュエリーの仕事の情熱の炎も風前の灯となっていた時期でもあったが、、、

私の目の前を歩くインド女性の褐色の肌に映える太目のゴールド・チェーン。本物の金細工のピアス。何本もの腕輪が魂の神殿である肉体を飾る装身具として堂々と、年配であればなおさら貫禄と神々しさを奏でている、その全体にしばし見とれた。
その後、私は二の腕に装着している処方された宝石を埋め込んだ腕輪を隠さなくなった。炎(アグニ)の彫をいれて、より一層、仕事に精出すべく愛用している。

インド占星学処方のジュエリーというのは、日本人に紹介されてまだ30年も経っていない。まだまだ一部の人にしか知られていないが、最近は若い男性からのオーダーでも、隠すようなデザインではなく堂々とした大きなものを注文してくれるケースが徐々に増えてきた。
女性も若い方でも、大きなカラット数を身につけることに抵抗なくオシャレに付けている。
(代用石は通常の宝石の倍以上が処方される)



2世代にわたってオーダーを受けるケースもあるが、確実に日本にも愛用者は増え、宝石という自然界が生んだ奇跡を愛で恩恵を受ける人々の砦となっていけたらと思う。
日本人ならではの繊細な感性と技術で宝石を加工し、厳選に厳選を重ねた宝石の品質基準、真心込めたアフターサービスまで、本場インドにも「LAXMI JEWELRY」クォリティは、そう無いと自負している。









|

2013年11月 5日 (火)

ディーパーワリの夜に

1383649211368.jpg
1383649212620.jpg
ディーパーワリは11月の最も暗い新月の夜に豊穣のラクシュミ女神を招き入れる光の祭典です。
光が闇に勝利した夜に感謝を捧げました。

|

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »