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2017年4月30日 (日)

ハリ・ダーニヤー(パクチー)

パクチーが畑で自生してくれるのは非常に嬉しいけど、1人で食べきれず困っている。今の季節花が咲き始めると茎が硬くなってしまい風味が落ちてしまう。
保存食を伊藤武先生がコラムに書いておられたのを忘備録かねて転載。

〜Yaj 2017 3月
メーリングリストより転載〜
伊藤武コラム【パクチー・マニア】

ドクダミとカメムシを混ぜ合わせたような強烈な臭い。香菜(コリアンダーの葉っぱ)は、タイ語の“パクチー”の名で今ではすっかりお馴染みに……あらら、「ちょこっとサンスクリット」と同じ出だしになってしまいました。
香菜の初体験は、忘れもしません、1979年、インドに行く前に立ち寄ったタイでのこと。名物のトムヤムにもバーミナーン(ラーメン)にでも、なんにでも入っている。セリやセロリをうんと野性的にしたような感じ。抵抗はありませんでしたが、パクチーという名はもちろんのこと、コリアンダーという名すら知りませんでした。当時、日本ではほとんど知られていなかった、ということです。
インドに行っても、パクチー、いやダーニヤーは、おおかたの料理に入っている。インドに長居するうちにすっかり慣らされてしまい、日本に帰ってからは、手に入らないため、ずいぶんと淋しい思いをしました。
それが、今ではスーパーにも売っていますし、パクチー・マニアという言葉もあるほどですから、隔世の感を禁じえません。

もっとも、日本人が、長い歴史のなかで香菜をまったく知らなかった、というわけではありません。10世紀前半に成立した『延喜式』と『和名抄』に、生魚を食べるさいに必ず添えられる薬味として胡荽(「こすい」または「こにし」、香菜の古名)があげられています。江戸末期には、当時発明されたばかりの握りずしにも香菜が添えられていました。魚の毒消しの効が期待されたのでしょうね。
のちにこの役割はワサビに取って代わられ、日本料理における香菜は淘汰されてしまいます。
その香菜が最近になって再び注目を浴びるようになったのは、アジアの料理が身近になっただけではない。現代の生活において、身体がそれを求めているからではないでしょうか?
ネットで調べてみると、香菜にはさまざまな薬効があるようですが、なかでも注目すべきは、デトックス(毒出し)効果。環境汚染にともない、われわれの身体に蓄積する鉛や水銀やカドミニウムなどの重金属もすみやかに排出してくれるとか。
抗酸化作用も著しい。活性酸素はDNAを傷つけ、結果的にガンや糖尿病、動脈硬化などの疾病、しみ、しわ、そして老化を招く。それを防いでくれる。
各種ビタミン類も豊富ですから、アンチエイジング、強精、美容の強い味方ということになります。
嫌いな人には申し訳ないが、食べなきゃ損といっていいくらい。

香菜は好きな人にはどう食べてもおいしいのですが、わたしがよくやる食べ方を2、3紹介しましょう。
○カルパッチョ:平安時代の生魚の料理に香菜が用いられていたという。刺身(さしみ)と言葉が初めて現われるのは室町時代ですから、この場合の「生魚の料理」とは膾(なます)のこと。カルパッチョの親戚みたいなものです。生魚やタコを薄く切り、柑橘の汁、オリーブ油、塩、ニンニクでマリネし、いただくときに香菜を散らす。
○チャトニ:香菜、ミント、レモン汁、青トウガラシ、塩をペーストにし、揚げものなどのソースにする。香菜とミントは、味の上でも薬効の上でもたいへん相性がよく、インドでも人気のチャトニです。ミントはヒンディー語でプディーナー(pudīnā)ですが、このプディーナーはじつは日本のハッカが起源。日本ミント(ハッカ)が1962年にインドに導入され、以後ひろく栽培されるようになりました。
○五香辣油(台湾の調味油):香菜、ニンニク、ショウガ、青トウガラシ(または山椒の実)、八角(またはキャラウェイ)—
—これらを刻んで、ゴマ油、焼酎、酢(または梅酢)に漬け込む。香菜の難点はいたみやすいこと。が、これなら、保存がききます。
ラーメン、冷やし中華、ギョウザなどにたっぷりとふりかけます。


伊藤武ちょこっとサンスクリット【ダーニヤー dhānyā धान्या】

ドクダミとカメムシを混ぜ合わせたような強烈な臭い。
香菜(コリアンダーの葉っぱ)は、タイ語の“パクチー”の名で今ではすっかりお馴染みになりましたが、20世紀にアジアを旅した日本人にとって、避けては通れぬカルチュアショックの〈におい〉でした。
ナンプラーとニンニクとパクチーがねっとりとまつわりついてくるタイの〈におい〉、カレーとダールとハリ・ダーニヤー(香菜)が灼熱に炙られるインドの〈におい〉、カバーブとヨーグルトとクズバラ(香菜)がアザーン(大音響で流される礼拝への呼びかけ)とともに沁みこんでくるアラブの〈におい〉……安宿に棲みつくナンキンムシを潰したときに嗅ぐ痒い痒い〈におい〉にも似ています。
旅のベテランでも「なんでも食べられるが香菜だけはダメ」という人が多いのですが、幸いわたしはすぐに慣れました。いったん馴染むとなんにでも、こいつを入れたくなってしまいます。アクのつよさが心の襞に染みついて離れぬうまさに変わります。カレーの仕上げに香菜を振りかけないと、
インドカレー独特の風味が出ない。ラーメンにも香菜が入っていないと、面白みがない。

香菜は、サンスクリットではダーニヤー(dhānyā)。注意していただきたいのは、語尾が「ヤー」と長母音になっていること。短くダーニヤだと、別のものになってしまいます。
ダーニヤ、そしてダーニヤーは、√dhā(置く/据える)に派生する語で、「食の中心に据えられたもの」。
中性名詞のダーニヤ(dhānyam)は、主食である「穀物」をさします。dhānya-rājaḥ(穀物の王)といえば、ヴェーダ時代の主食のオオムギ、dhānya-uttamaḥ(最上の穀物)となればコメ。
また、ダーニヤの前に芒(のぎ)をあらわすシューカをつけてśūka-dhānyamとすれば、コメやムギなどのイネ科の穀物。莢(さや)
をあらわすシャーミをつけてśāmi-dhānyamとすれば、豆類の意味になります。
コリアンダーのことを“ダーニヤ”と云わないこともないのですが、その場合は「種子」(bīja)に限定されます。コリアンダーの種子は、葉からは想像もつかない甘いオレンジ畑の匂い。じっくり煮込むタイプのカレーをつくるときは、他のスパイスとともにひき潰したコリアンダーの種子をたっぷりと加えます。すると、タマネギと結びついて、うまみととろみになるのです。
けれども、葉っぱをいうときは、女性名詞の“ダーニヤー”にしなければなりません。「緑」をあらわすハリを冠して、hari-dhānyāと呼ぶこともあります。
植物をあらわす名詞は、木は男性、草は女性、花や種子や果実は中性が原則です。木であっても、その葉をしめすときは、女性になります。
ここらへんのセンスはなかなかわかりづらいのですが、ヒマラヤ(Himālayaḥ)などの山の名のほとんど(例外もある)が男性、ガンガー(Gaṅgā)などの川の名のほとんどが女性であることを考えると——
動かないものが男性で、動くものが女性。草や葉は風に吹かれて動くから女性、木は動かないから男性ということなのでしょう。

コリアンダーは、地中海地方が原産のセリ科植物ですが、考古学的遺物から、インダス文明時代にすでにインドに入っていたと考えられます。
そして、コリアンダーが、サンスクリットで穀物や豆とともに「食の中心に据えられたもの」とよばれて、主食扱いされてきたことが興味深い。
最近、日本でも、デトックス効果や老化防止効果など香菜の薬効が云々(うんぬん)されるようになりましたが、古代インド人は、
そんなこと経験的に知っていたのでしょうね。


毎日パクチー山盛り


まいてもないのに出てきて
寒い冬も超えてくれる

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2017年4月29日 (土)

孤独を受け入れる

どういうモチベーションでアグニホートラを毎日やってるのか?と今日知人に問われた。

原発事故後ネットでたまたま浄化方法としてアグニホートラのことを知った。

【植物の神秘】やヴァサント先生の本を翻訳して読んで、感銘受けた。

大気の浄化と植物の成長実験で
始めたところ
瞑想が気持ちよくできることや
聖灰の自然栽培の利用、
供儀がヨーガのルーツで
あることを知り
マルマヨーガを学び、
早起きもできるようになって
人生がハッピーになってきた。

中学生ころから心に巣食っていた、
環境破壊し続ける人類は
自分含めこの地球にとって有害な存在なのだという絶望感が
アグニホートラをすることで
癒され、人間は汚染し破壊するだけでなく自然を守る役割があるのだと実感できること。

この5年以上及ぶ実験結果は植物の成長は素晴らしく
夢の自然栽培が実現した。

全く思うところの1割も聞かれた人にいうことはできなかった

アグニホートラを知って自然や地球、世界中で実践してる有志との結びつきができて、満たされる感覚がある時と
(←これはクンダリニー上昇の高い意識状態)

うまくその価値を伝えられないのもあるがまず
わかってくれる人がいないことが
時にずーんと孤独を感じる時がある。
これは低い停滞した
意識状態なのだろう

物事を問題にするのは
自己の意識状態によると今日学んだ。
黙想して孤独感を受け入れてみよう。



10年目にして大きく成長してたくさんの花をつけてくれた木香薔薇


















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2017年4月26日 (水)

日の入りのグループ瞑想

昨日は、10年以上前にジョーティシュの宝石を納品したHさんが、アグニホートラの瞑想プログラムに横浜から来てくれました。

TM瞑想されてる方なのでまず一緒にグループTMをして、日の入りのアグニホートラ、宝石を使ったチャクラ瞑想と連動して最後にワンネス寺院(至高の光寺院)のゴールデンオーヴ瞑想も行いました。

熟練の瞑想者であるHさんは久しぶりに最初っから気持ちいい瞑想ができたと感想頂きました。

私も1人よりも2人と人数増えると、よりパワフルなって楽しいハッピーなアグニホートラタイムを過ごしました。
お土産に小さな紫蘇の苗をお渡ししましたが、Hさん宅で大きく育ってくれたらいいなと思います。

アグニホートラもゴールデンオーヴ瞑想も無料なので、
もっと多くの人に体験していただき、
日常生活でその恩恵と自然の支援を享受していただけると嬉しいです。


今日の畑
パクチーが撒いてもないのに
こぼれだねで冬越えしたのが
成長して花芽がつき始めている
毎日食べて消費せねば、、


さやえんどうは花も美しく
花後のさやも美味しく
ほっとくとグリーンピースにもなる
素晴らしい







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2017年4月13日 (木)

オリジナルTシャツ作りました

背中にシヴァ神のご加護。
かっちょいいTシャツ作りました♪( ´▽`)

http://up-t.jp/info.php?type=item&id=58edcf42ca01b

オーガニックコットン使用で
色もサイズも豊富です
八王子アグニホートラ瞑想センターの
記念すべきオリジナルTシャツ第一弾
限定11枚です。
ネットショップより多少時間かかってもよければ
消費税分8%offでお分けできます。

私は十代の頃から変わらずレトロなものやパンクファッション、ゴシックロリータ系、アジアン民族系など好きなスタイルがありますが、
毎日のヨーガアーサナや農作業、家事をしやすい動きやすい服で寝巻きにもなって、、といえばやっぱりTシャツです。
好きなデザインでオーガニックコットン素材の良いものはなかなかないので、自分の欲しい、着てハッピー度の上がるTシャツをドンドン作ります!






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2017年4月11日 (火)

ライフワーク

昨日はご近所の方がマルマヨーガ
の個人レッスンに
おいでくださいました♪( ´▽`)

八王子アグニホートラ瞑想センターの
プログラムやレッスンは
有)楽趣美内の瞑想ルームで
行なっていますが
ご近所の方にも、こんなところにあったんだ!と言われるくらい、
隠れた場所に建物があります。
別に隠れてるわけではないのですが
、、結果的にはそうなっています。

それにしても
ライフワークで好きなことでお金や、
お金でなくても何かお礼をいただくって最高に嬉しいです。

瞑想会も、ライフワークになってきています
昨日投稿したゾルバダブッダと同じで音楽と瞑想の融合は最高に楽しい。

ライフワークは頻繁にやるべしという格言は人生をハッピーにする秘訣です。
今朝のアグニホートラは5:21
だんだん早くなり、
起きるのにハードル上がってきますが、
夜食べなくなってからラクに起きれるようになり、いよいよアグニホートラ実践も5年目で良いサイクルができて来たようです。

ライフワーク、、好きなことで
経済的にも精神的にも豊かになっていくことを今後も研究していきたいと思います。


ホームセンターで
半額などで安くなってる枯れかけた
苗をめざとく引き取って、
大きく育てるのは
単に綺麗な苗をかってきて植え替えるだけより断然楽しい。
花が終わり二足三文で売られてたビオラもアグニホートラの大気の中で次々新芽を出していく!




マルマヨーガ修了証をシヴァコーナーに置いて。

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2017年4月 8日 (土)

ゾルバ ダ ブッダ

昨日は高尾ダイナミック愛好会の満月瞑想集会19回目でした。

継続し試行を重ねることでより
楽しめる瞑想会へと成長してきています。

以前は30〜40人とか集まって
市民会館の広い体育館で
行うことも目標としてましたが、、
過去12-3名がマックスでしたw

7-8名でシャバアーサナ(死体のポーズ)で仰向けになると一杯の
小さなスペースの音楽室で
こじんまりと行っていますが、
窓を開けると
すぐ横を流れる川の音がとてもいい感じの部屋です。

ヨーガや瞑想が有名人やセレブwに
人気といってもダイナミック瞑想は
少数派です。
参加するのにできるだけ
間口は広くしてるので、よかったら継続してみてほしいです。
続けることで深まっていきます。

わたし自身もこの瞑想を毎月毎月することになるとは
思いもしませんでした。
自分が主催してなかったらやっていないことは確実ですw

しかしながらここ最近になって
大きな変化を感じています。

プラーナで生きるという恩寵に
片足を入れ始めています

とはいえども完全にいわゆる食糧を食べない飲まないのではなく、、

自分で育てた野菜やハーブで料理を楽しんだり、お得なバイキングレストランに息子といくのも相変わらずですが

食べないことも食べることも両方楽しんでいるところです。

基本的に日没後は食べなくなり、
食事量が減ったおかげで消化の負担と不快なお腹の重さや脂肪が減り、

日の出のアグニホートラやヨーガのプログラムも余裕でできるようになりました。

私にとってこの世をハッピーに生きるための3種の神器(ツール)はこれまで
アグニホートラ
EM(有用微生物群)
サンスクリット語

でしたが、
プラーナで生きることが現実になってくるとさらにハッピー度が上がってきています。

20年以上前にアトピー性皮膚炎で苦しんで菜食にしてあっという間に治り、
皮膚炎は解消しましたが、
今はさらに別の意味で気楽に生きやすくなってきています。

食べて 食べるために働いて 食べたら
消化のために運動して、、
といった一連の
終わりなき連鎖
繰り返しは時に退屈しのぎだったり、虚しい感覚を抱くことがままありましたが

両方楽しむ、というのはゾルバ ダ ブッダという生きることを二倍楽しむコンセプトと同じなので
それについての質問に
オショーが答えてるところを
ご紹介します。

(質問)

あなたが話されると、ときとして私は、ギリシャ人ゾルバのように食べ、飲み、楽しく、そして、溌剌として、情熱的に生きるべきだという洞察を得ます。
そして私は、これこそが道だと思います。
また、別のときには、僧侶のように静かに座り、動かずにいることが道だ、と あなたは言っているようにも感じられます。それでは、
私たちはどうあるべきなのでしょう。

ゾルバなのか、それとも僧侶なのか
そして、どうすればゾルバと僧侶の融合が 可能になるのでしょうか?

この矛盾をあなたは うまく統合された、と私は感じています。
しかし、私たちが情熱と欲望に動かされるゾルバと、感情に走らない
冷静で 落ち着いたブッダの両方で
あることはできるでしょうか?

質問者への答えOsho

ゾルバがブッダになるとき
それは究極の統合だ
私は ここで、ギリシャ人ゾルバではなく、
ゾルバ・ザ・ブッダを創ろうとしている。

ゾルバは 美しい。
だが何かが 欠けている。
地上は 彼のものだ。
だが天国が 欠けている。
彼は巨大な
杉の木のように、
この世的で根づいている

しかし、彼には 翼がない。
彼は 空へ飛ぶことができない。
彼には 根はあるが翼がない。

食べ、飲み、楽しむこと自体は
完璧に いい。そこには何も 間違いはない。しかし、それだけでは充分ではない。

すぐに あなたはそれに飽きるだろう。
人は、ただ 食べ、飲み、
楽しみつづけることはできない。
すぐに楽しい
メリー・ゴー・ラゥンドは哀しい
ソリー・ゴー・ラゥンドに 変わるだろう。
なぜなら、
それはくり返しだからだ。
ひじょうに 凡庸な
精神だけが、 それで
幸せで ありつづけることができる。

もし、あなたに 少しでも
知性が あるのなら、遅かれ早かれ
あなたはその すべてが
まったくの無駄であることに
気づくだろう。

いつまで あなたは食べつづけ、
飲みつづけ、楽しみつづけることができる…?

遅かれ早かれ必ず 疑問が生じる。
こんなことにいったい どれほどの
意味があると いうのか?

なぜ?いつまでも その問を
避けることは不可能だ…そして、
もしあなたが とても知性的であるなら、それは いつもそこにある。
がんこにそこにある。
答を 求めてあなたの ハートを
たたきつづける

答えてくれ!なぜ?だ と。

そして、ひとつ
覚えておくべきことがある。
貧しくて飢えた人々が、
生に欲求不満に
なるのではない。違う。

彼らは欲求不満に
なることができない。

彼らは まだ生きたことがない
どうしてその彼らが
欲求不満になれるだろう?
彼らには希望がある。

貧しい人は いつも
希望を もっている。
貧しい人はいつも 何かが
起こることを望んでいる。
何かが起こることを期待している

もし 今日でなければ
明日か明後日に、もし 現世でなければ
…来世に。

どう思うかね?天国を
まるでプレイボーイ・クラブのように描いている、これらの 人々とは
いったい誰だろう?

飢えて、 貧しく生を取り逃がした人々
彼らが自分たちの 欲望を天国に投影している。

天国にはワインの川がある
ワインの川を想像する
これらの 人々とは
いったい誰だろう?

彼らは “ここ”を
見逃したにちがいない。
そして“望みを叶える木”
がある。あなたはその木の下に座り、
望みを かける。そして、
あなたが望みをかけるその瞬間、
直ちに その望みは
かなえられる。

欲望とその実現の
あいだには一瞬といえども
経過がない。

欲望とその実現の
あいだには影すらもない。
それは、即刻、即座だ!

これらの 人々とは
いったい 誰だろう?

餓えたままで、彼らは
自分たちの生を 生きることが
できなかった。

どうして彼らが生に
欲求不満になれるだろう?
彼らは経験していない

経験を通してのみ
人は そのすべての、
まったくの無益さを
知るようになる。

ゾルバたち だけが、
そのすべてのまったくの無益さを
知るようになる。

仏陀自身ゾルバだった。自分の国で
集められるだけの
美しい女性は すべて彼の ものだった。

彼の 父親は、すべての
美しい娘たちを彼のまわりに置いた。
彼は美しさが ことなる季節ごとに
移り住む、とても美しい宮殿を もっていた

彼は可能なかぎりの、
あるいは、その 時代に
可能だったあらゆる ぜいたくを
尽くしていた。

彼は、ギリシャ人ゾルバの
生を 生きた。
その結果彼はわずか29歳で
すっかり 欲求不満になってしまった。

彼は とても知性的な 人だった。
もし、 彼が凡庸な 男だったら、
そのなかで生きつづけていただろう。

だが、すぐに 彼は要点を 見抜いた。
それは くり返しだ、
それは 同じことだ、と。
毎日 あなたは食べ、
毎日 あなたは
女性と 愛を交わす…しかし、
彼には愛を 交わすための
新しい女性が毎日いた。

しかし、いったい
いつまで…?
すぐに彼は
あきてしまった。

生の体験は とても苦い。
それは 想像の なかでのみ甘い。
実際には、それは 実に苦い。
彼は宮殿から、女性たちから、
そしてその富、ぜいたく
すべてから逃げ出した。

だから私はギリシャ人 ゾルバに
反対しない。なぜなら、
ギリシャ人 ゾルバは
ゾルバ・ザ・ブッダの
まさに基礎だからだ。

ブッダはその体験から
生まれる。

だから私はこの世間を
完全に 支持する。なぜなら、
超えた世界はこの世間を
通してしか体験されえないからだ。
だから私は そこから
逃げ出せとは 言わない。

あなたに僧侶になれとは 言わない。
僧侶はゾルバの逆を行った人間だ。

彼は 現実逃避家だ。
臆病者だ。彼は
知性が ないために、
急いで 何かをした。
彼は成熟した人間ではない。

僧侶は 未熟だ 貪欲だ
超えた世界に対して 貪欲だ。
そして、それを今すぐにでも
手に 入れたい。
しかし その季節は
まだ来ていない
それに、彼はまだ 熟していない。

この世間で生きなさい。
なぜなら、この世間は
熟成を、円熟を、統合を
与えて くれるからだ。

この世間での挑戦は、
中心に定まることと
覚醒を 与えてくれる。
そしてその覚醒が梯子となる。

そうなったら、
あなたはゾルバからブッダへと
動くことができる。

だがもう一度
繰り返させて欲しい。
ゾルバ だけがブッダに なる
それに、仏陀は決して僧侶などではなかった。

僧侶とは、一度も ゾルバであることがなかったのに、ブッダたちの
言葉に魅せられた人間だ。

僧侶は 模擬者だ。偽者、偽りだ。彼は
ブッダたちを模倣する。

彼はキリスト教徒かもしれない、
仏教徒かもしれない、
ジャイナ教徒かもしれない
それは大した違いではない
とにかく、彼はブッダたちを
模倣する。

僧侶が世間を 離れるとき、
彼は世間と 戦いながら離れてゆく。

それはくつろいだ行き方ではない。
彼の 全存在は、世間の方に
引っ張られている。

彼はそれに逆らって奮闘する。
彼は分裂する。彼の存在の 半分は
世間を求め残りの半分は
超えた世界を求めて
貪欲に なっている。

彼は引き裂かれている。
僧侶は 根本的に
精神分裂症的な人間だ。
分裂した人間 高いものと 低いものとに分裂している人間だ。

そして、低いものが
彼を引っ張りつづける。
その 低いものが
魅力的になればなるほど、
それはさらに 抑圧される

そして、低いものが
彼を引っ張りつづける。
その 低いものが魅力的に
なればなるほど、それは
さらに 抑圧される。

そして、彼はその低いものを
生きたことがないので、
高いものへと入ることができない。

低いものを通り抜けない限り、
高いものへと
入ることはできない。
あなたは低いものの
あらゆる苦悩とエクスタシーを
通過することによってのみ、
高いものを稼ぎ取ることができる。

蓮は 蓮になる前に泥を通って
ゆかねばならない
その泥が 世間だ
僧侶は泥から 逃げ出した。
彼は 決して蓮にならないだろう。
それは、まるで 蓮の種が
泥のなかに 落ちるのを
恐れているかのようだ

「私は蓮の種だ!
泥のなかに落ちるわけにはゆかない」という エゴのせいで。

しかし、そうなってしまったら、
それは種のままに
とどまることになる。
それが蓮として咲くことは
決して ないだろう。

もし 蓮のように
咲きたいのなら、
泥のなかに落ちなければならない。
この 矛盾を 生きなければならない。

泥のなかで生きるという、
この矛盾なしには、
超えてゆくことなどありえない。

私は、あなたを僧侶に するような
人物ではない

さもなければ、なぜ
僧侶たち、尼僧たちは
こんなにも 私に
反対しているのだろう

私はあなたに
大地に根づいてほしい。

「私はあなたたちに
懇願する。同胞たちよ
大地に誠実で
ありつづけることだ。
そして、あの世的な
望みを語る者たちを 信じてはいけない!」と言う
フリードリッヒ・ニーチェに、
私は 完璧に同意する。

信頼の最初の レッスンを、
大地を信頼することから
学びなさい。
今の今は、それがあなたの我が家だ

あの世に憧れては いけない。
この世を生きなさい。
そしてそれを 強烈に
情熱をもって生きなさい。

それを余すところなく、
あなたの全存在で
生きなさい。そして、
その信頼全体から、
愛と、喜びの生から、あなたは
超えてゆくことが
できるようになる。

超えた世界は、
この世間の なかに隠されいる。
ブッダは、ゾルバの なかで
眠っている。

それを目覚めさせなければ ならない。
そして、生そのものよりほかに、
あなたを目覚めさせられる者はいない。

私は、あなたがどこにいようとも
全体的でいられるように、
手助けするためにここにいる。

自分が どのような
境地に いようとも、
その境地を全面的に生きなさい。

人はひとつのことを全面的に
生きることによってのみ、
それを 超越する。

まずは ゾルバに、この 地上の
一輪の花になりなさい。
そしてそれを 通して、
ブッダに 超えた
世界の花になる力量を
稼ぎ取りなさい。

超えた世界はこの世間から
離れては いない。

超えた世界はこの世間に
反しては いない。

超えた世界はこのなかに
隠されている。

“これ”は向こうの
現れにすぎず…

向こうはこれの
現されていない部分だ。
Osho,
The Perfect Master,pp.120-123

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2017年4月 4日 (火)

4月ヨーガ教室・瞑想会のご案内

◯4月予定
アグニホートラ瞑想プログラム
マルマヨーガ教室
八王子アグニホートラ瞑想センター

◽︎心身の健康増進をしたい方
◽︎美容 ダイエットしたい方
◽︎若返りたい方
◽︎精神安定したい方
◽︎潜在能力の開発したい方
◽︎ストレス解消したい方
◽︎瞑想を深めたい方
◽︎直感(インスピレーション)を深めたい方
◽︎ハッピーな人生を創造をしたい方

◯4/7(金)満月瞑想集会
高尾ダイナミック愛好会
◽︎浄化と瞑想を深めたい方
◽︎歌って踊りまくりたい方
◽︎静かに座って平安を祈りたい方
◽︎お茶飲みながら語り合いたい方

当てはまる方はぜひご参加ください
コストパフォーマンス最高です。
心よりお待ちしています(^^)









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