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2017年8月12日 (土)

プラーナという糸で連なる首飾り

ヨーガを体現している
実際にそれを生きてる人は説得力がある。

これまでの人生でそう思える人に実際に会ったのは45年生きて来て
一人しかいなかった

(私が18歳の時TM瞑想の個人指導をしてもらった先生はまだ20代だったと思われるがそうだった)

雰囲気に声に表情に全てが一目瞭然だった。

女性でそう思えた初めての人物が
ジャスムヒーンさんだったと言える。

写真だけだったら
あるヨギの自叙伝の
アーナンダモイマーさんが
そうかもだが
実際に会って感じた訳ではない。


人間は老いて死んでいく一方と、
地球環境破壊の進む狂った世界で生きる意味が全く分からなかった15、6歳の頃の自分へのアンサーは内側にあった。

プラーナ栄養摂取に移行したからこそ
料理も楽しいとは、なんというパラドックスだろう。

誰かが金八先生よろしく言ってた。

♪人は悲しみが多いほど人に優しくできる♪と

人生は矛盾に満ちた不可思議なパラドックスだ。

ここ10年来の欧米発 の
ローフードの流行とヨーガが
クロスしていたのには
インド系ヨーガの人には軽薄すぎるしアーユルヴェーダは古典では肉食ありの加熱食推奨でなので敬遠する人も多かったと思う。
しかし今!は21世紀。

私はこれまで古ければ古いほど
普遍の知識で信用に値すると
アーユルヴェーダを実践していた。

息子のアレルギー改善のために酵素
栄養学を学んで
生で食べることや食べ合わせを
取り入れつつも基本はアーユルヴェーダだった。

しかし、アーユルヴェーダを長年実践してる人で、外見で私を納得させてくれる人にはついぞ出会えないのである。

中年移行、速度は遅くとも老化も人並み 白髪に薄毛 しわしみ インドの御婦人のようにでっぷり肥え出す。

私も一時期は太めでも豊穣なインド人みたいで喜ばしいと思ってたが、今はそうは思わない。

肉感的な太い体に美しい布が巻きつくゴージャスなインド系ファッションにも憧れたが本来の自分はもっとシャープでパンキッシュなスタイルが好きなのだ。

アーユルヴェーダとヨーガは
同じインドの知識から生まれた姉妹とはいえどもよって立つ場所が、
目指すところがオクターブ異なるから
混同してはならない。

私は姉がいて全くタイプは違うため
子供の頃は比較され姉を羨むことも多かった。
今は仲はいいしお互いの良さを認め合って自分にないところで助け合いリスペクトしてる。
アーユルヴェーダとヨーガも本来そういう関係なのだと思う。

神と、無限と一体化したアーナンダ(至福)の状態。
溢れ出る愛の海に溺れながら、生死を超越するのがヨーガの究極であろうが、

アーユルヴェーダでは一般的な若返りや長寿法であってヨーガのような非社会的なことを目指してはいないのである。

それにしてもヨーガとアーユルヴェーダひとつ取ってもこうも異なる
事柄がプラーナという見えない糸で連なり、これまで混乱し絡まりがちだった一つ一つのパーツが
それぞれが輝きを補い合うのに
長い年月がかかった。
今後はこの美しい見えない宝石のネックレスを首にかけていこう。



























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