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2017年12月20日 (水)

桎梏を逃れる


>ヨーガ・スートラがいきなり現われたわけではありません。

バラモンのサーンキヤ哲学と、仏教の説一切有部(せついっさいうぶ)を折衷するかたちで、
このヨーガの金字塔は生まれました。

ハタ・ヨーガがいきなり現われたわけではありません。

ヨーガ・スートラからシヴァ派が生まれ、大乗仏教から金剛乗(密教)が生まれ、
シヴァ派と金剛乗の秘儀のなかから、この錬金術的なヨーガが抽出されました。

インドにあって、哲学とヨーガはつねに一体です。この多様な世界をどう理解するかが哲学。

その世界の桎梏(しっこく)から自由になるための手段がヨーガ。

以上、伊藤武先生の1day講座の案内より
http://yoga-viola.com/wpblog/2017/09/21/post-5416/http://yoga-viola.com/wpblog/2017/09/21/post-5416/

世界大百科辞典の「桎梏しっこく」について言及している、刑具の用語解説では、

>これらの主刑を執行する刑具のほか,付加刑や獄といわれる未決監における勾留や拷問のための刑具もあった。
枷(か)は乾木製または鉄製の首かせ,杻(ちゆう)は古くは

桎梏(しつこく)ともいう手かせ,足かせで,重さに等級がつけられていた。
尋問のためには訊杖(または訊囚杖,清代には竹板)という一定規格の杖があり,また夾棍(きようこん),指(さつし)(または子)という3本の棒とそれに通した縄より成り,脚,腕,指を挟んで責める道具があった。…

引用ここまで
ーーーーーーーーーーーーーー
とあります。

つまりは、この世界で生きる者が科せられている拷問具から、解放される手段がヨーガである、ということなんですね

最近、雨宮処凛さんの「アトピーの女王」という本を読んで、かつて幼少時から23、4歳まで重度のアトピー性皮膚炎に苦しんだ過去を思い出してました。

痒みと血と膿にまみれて、生きること自体が暗黒の拷問だった日々から、
徐々に改善したのは、アーユルヴェーダ医師の脈診により、なんとお肉とお魚を食べずに菜食になることと、
ターメリックを溶かし込んだゴマ油で患部をマッサージすることでした。

衣類も寝具も黄色くなってしまいましたが、お金をかけずに治すことができたのはラッキーでした。

雨宮さんの本ではアトピーという訳わからない皮膚炎に苦しむ人々の弱みに漬け込んだビジネスと藁にもすがる人々も紹介されています。

私はアトピー治療で菜食になる10代〜20代はじめまでは普通にアルバイト代が入ると、しゃぶしゃぶ食べ放題や回転寿しに行くのがささやかな楽しみでした。
そういった外食費は減って、
ベジタリアン料理の本を図書館でたくさん借りて自炊するようになり、それが人生の楽しみにもなりました。

最近はさらに菜食から断食(プラーナ食)に導かれたおかげでより「桎梏」から徐々に逃れてきた感があります。

食っていけなくなる、ということが
死を意味するのではなく、逆に浄化になり、健康に自由に快適になる、というの逆転の発想です。
お金の為に働く必要性が軽減して
時間を本当にやりたいことに使い、
好きな仕事、人に役立つことをビジネスライクではなく、非効率的であっても心を込めて行うことで満足感を得られます。

終わりなきサイクルの中で抜けられない手枷足枷となってるのは突き詰めれば、生存欲求からくる食べれなくなる=死への恐怖心です。

私はよく高校時代に学校を早退しては
誰もいない部屋で一人で死体のポーズをしていました。
ただ仰向けでボーっとするだけ、
まだ瞑想もヨーガも正式には入門してませんでしたが、体を傷つけることのない安全な死の体験だったと今は思います。

希死念慮のある方や、競争と生産、消費活動に追われて疲弊してる現代人。
娯楽で紛らわしながら生きることに行き詰まりと虚しさを感じている人こそ、ヨーガの死体のポーズで死ぬほどリラックスすることで、実際に命を絶たなくても済むケースがあるのではないかと思うのです。
少なくとも自分はアーユルヴェーダでアトピーを治し、ヨーガに出会わなかったら、生きていくことができなかった一人だと言えます。

ヨーガというとひと昔前は拝金主義なカルト教団、昨今では美容や健康のためのセレブリティを広告塔にしたリア充向けなものしかメディアでは目立ちませんが、
この世界に生きづらさや厭世観を感じている人。
手枷足枷の「桎梏」から逃れて、自由に生きれる裏技的な可能性があることを、生きることに疲れて死にたいと思ってる方と、真に生きたい、と願う人に伝えられたらと思います。















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