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2018年3月19日 (月)

卒業2

息子の中学卒業、という取るに足らないありきたりな出来事でも、終わってしまえば、清々するよりも、もっとああすればよかった、こうすればよかった。という、やりきれない気持ちが意外にも湧いてきて自分でも驚いた。

やり残したことは次の進学先で繋げて、今度は悔いなくいこう、などと思ってハタと気づいた。

こうして同じように、自分は前の生が終わる時にも後悔がいっぱい出てきて、次の生へと引き継いだのではないだろうか、、。

この世の桎梏を逃れたい一心から、いかに生き、死ぬかの探求が始まる。
が、厭世感だけで、こんな世界は二度とごめんだ、とこの世を去ってしまったら、またどこか別のところに生まれ変わってしまう気がする。

おさらばしよう、と自分で決めて断食して肉体脱する。
総棚卸しの店じまいで、精算して新たな種を撒くことなく、
望みや後悔を持ち越して次に生まれ変わることなく、
跡形もなく全宇宙から金輪際消え去りたい。

それまでは、地球というワンダーランドで思い残すことなく、人間としてやりたいことは全てやった、あ〜面白かった、よく遊んだ、会うべき人に出会って楽しんだ、という充実感とともに、遊び疲れた子供が、母親の待つ家に帰るようにして、魂も故郷に戻っていけるのではないだろうか。

特に、死ぬときに後悔が多いのは、人間関係だろうという予測がつく。
18歳の時に、母親が予期せず病死した直後は実感湧かずで、1年くらいたってから思い残したことがありすぎて、後悔ばかりで毎晩泣いていた。

そんな私を見てか、夢枕に立った亡霊の母に、そんなこと気にせんであんたは生きなさい、とアッサリ言われたのだ。その時は安心したのだが、

特に夫婦や親子という、親しければ親しい人間関係ほど、あーすればよかった。もっとこうすればよかったという後悔が山ほど出てきそうだ。

お互いを無意識からのトラウマを写す鏡にして、一線置いた友人関係だったらありえないような激しい感情を刺激され噴出し、さみしさ、悲しさ、怒りという負感情を体験するのが、家族であり親しい人間関係である。

オリンピックや体育会系によくある、一生懸命打ち込むことや、卒業式、冠婚葬祭に代表される形式的なこと。
世間一般的に『感動的な』こと、予定調和なお涙ちょうだい劇全て、自分には無意味なことでしかなかったのだが、人間誰しもいつか必ず訪れる、人生を卒業する日のために。

大切なことを、息子の中学の卒業式を通して教えてもらった気がする。






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