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2018年10月18日 (木)

産みの苦しみを経て再生へ

今日は息子の誕生日である。
16年前の今頃は、陣痛の耐久マラソン、産みの苦しみ阿鼻叫喚真っ最中だったと思い返す。
何でも新しく生まれる前は、多かれ少なかれ苦痛が伴うものだというが、
あれほどの体験は禊としか言いようがない。
私も母としての誕生日なのだからお祝いをしよう。

今、息子とは思春期の割にはよく会話したり、一緒に出かけたりするのはインドで学んだ親業、子育ての智慧があったからこそである。
やはり、恩返しでこれをつたえにゃいかん。。そんな気持ちが湧いてきた。

今年から息子がシュタイナー学校に入ったことで、私も大きな恩恵をうけている。ヨーガに導かれたのもシュタイナーさんあってのことだったのでこれは運命だ。
今年は息子が望んでいたような、望む以上のクリスマスになりそうでワクワクしている。






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2018年10月14日 (日)

奇跡が起きるには

残りの人生どんなふうに生きたいか?
遊園地で何を選ぶかは自分次第。
レストランに入って何をオーダーするかも自分次第。
おばけ屋敷や恐怖のジェットコースターばかり目立つけど、ミラクルに感動するアトラクションだって実はある。

魂の青写真(ダルマ 、使命)に向き合う誕生日前後から思ってもみなかった可能性やヒントを守護存在から色々送られてきて、えーっそんなのアリうる!?と思いつつも、その見せてくれることは理屈抜きでファンタスティックでワクワクするような、驚くべき楽しいことばかり。
シンクロニシティや正夢など、人知を超えた現象は有無を言わさず人を敬虔な気持ちにさせてくれる。
そういう意味で不思議現象というのは
人に夢を与えてくれます(ムー展見に行かなくちゃ)
これまでに考えられない新しい次元を見せてもらってますが、これまでの人生でそんなの不可能だろう、ということでも叶うべきことは、いつかは叶うことをいくつも体験してるの可能性はある。

まず一つは世界の非暴力による平和。
ありえんやろ〜今のご時世まだまだ恐れと暴力とエゴに支配されております。
非暴力主義のガンジーによって建国されてたインドでも核兵器がお守り。
日本もアメリカの核の傘下で岐路にある。
でも、ビッグピクチャーで大きな夢は持とうと思った。すぐにじゃなくても何百年か後なら可能だろう(早いに越したことないが)

夢の実現方法

1 現状どうであれ、すでにそうなってる実現したいことをイメージする
(願望の種まき )

2 小さなことでもすでにあるもの、実現してることに意識をフォーカスする
(人はついつい、持ってるものを忘れて、ないことを嘆き悲しむ傾向がある)

3 自分がやれることはやりつつ、目に見えない存在 (ご先祖さま 天使 なんでもあり)に助けを要請する
(求めよさらば与えられん)

4 個人的な利益だけでなく他の人にも良いこと貢献になるか、実現可能かを考える。
(破壊的、実現不可能な願望はトラウマからきている)

5.願望と渇望の違いを明確にして、タネを蒔いた後は天に委ねる。

6.芽がでなくとも諦めずに何度でもまく。

7.結果が思ったのと違っても天の采配と思う。

8.ピンチはチャンスと逆転の発想をする。

9.停滞したり落ち込んだときは出来る範囲で与えること、サットカルマをする。

10.人を祝う。特にすでに自分の叶えたい願望を実現した人を祝福しまくる

(私は以前、畑や家を持ち、夢を叶えてる人に対して、自分はかけ離れていたので羨ましかったのですが、試しに一緒に喜びお祝いしました。数年後、奇跡的に自分も実現しました)

11.感謝する。

12.感謝してない自分に気づいて、恩知らずであることを自覚する。

13.分かち合うほど豊かになる。

14.お金を使うことは豊かさの種まき、一粒万倍の自然界の循環をお手本とする。


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2018年10月12日 (金)

バースデーブルーの脱却方法

年取ったら誰しも誕生日は無邪気に喜べなくなってくる人も多いですが、
ただ、年老いるのが嫌だってだけじゃないんですよね
私は十代の頃は人生の残り時間が刻一刻減っていく焦りでした。その深奥には恐れと虚しさがあります。
なぜいつか死ぬのに、生きる意味があるのか 。死んだ方がマシな状況は病気や経済的困難、若者は学校での苦難が理由の主ですが、特にそういった理由がなくとも心理的に死にたくなることはあります。

誕生日には特に死ぬ人が増えるという恐るべき、いや、さもありなんなデータですが、自死するくらいなら、いつかはほっといても100パーセント死ぬのだから、逆転ホームラン(マハーサマーディー)めざしませんか
そうすれば誕生日はそのために、本当は魂の青写真を思い出すチャンスとなりうる。
そしてこの世に送り出してくれた産みの母と、大いなる自然の母(マザーディヴァン)両方に感謝と祝福を求める日なのだ。
そうしたら、無邪気に誕生日を喜んでた幼子の気持ちに少しづつでも戻れる。
誕生日には自分が人に祝ってもらったり、何かもらうのを期待せずに、発想を転換して逆に人を祝い、贈り物をするくらいで私にはちょうどいいと思った。
誰も祝ってくれる人がいなくとも、自分で自分を祝い、自分にもプレゼントをかい、好物を食べるくらいの贅沢はどんどんするべきだ。
私も昨日は好物のメキシコ料理を自分で作って食べました。園芸店に行って苗も買った。普段どおり家事をするのが何よりハッピーだった。貯めてた玉ねぎの皮で祭壇用の布をシルク染した。栗と生クリームのケーキも作ってマザーディヴァンに捧げた。
豊かな意識にチューニング合わせれば、すでにたくさんの誕生日プレを天からもらってることに気づいて心穏やかに足取りも軽くなるのだった。

このおそるべき(どっちにも転べる)誕生日。当日では遅いので、前々から、クリスマスのキリスト生誕祭のアドベントとのごとく、指折り数えて準備をして迎えるとよりいいかもしれない。
来年の感謝祭が今から楽しみである。




自分にプレゼントは手芸店のお得な薔薇のアップリケ詰め合わせセット。あちこち縫い付けるのが楽しみです。

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2018年10月10日 (水)

誕生日


確か去年もこの時期フェイスブックに投稿した、誕生日近くに死ぬ人が多いという記事

https://biz-journal.jp/2017/06/post_19576.htmlhttps://biz-journal.jp/2017/06/post_19576.html

実際死ななくても、生きるのも辛いが死ぬのも怖いという人も多いだろう。

死を忌まわしいものとしか捉えられず、こういった事実に目を背ける人も多いだろう。

なぜ生きてるのかわからないー
(あぶらだこの名アルバム、木盤の中の象の背という曲)
繰り返しこの歌を聞いていたのは、
チェルノブイリの原発事故があり、とどまることのない開発と言う名の環境破壊が進んでいたころ。
所謂HSPだったので人一倍敏感だった十代半ば、なぜこんな狂った世界に生きなきゃならないのか?嫌でたまらなかった。

が、分かったのだ。
この天国と地獄が共存する世界になぜ生まれてきたのか

百人いたら百通りの答えがあるだろう。

私は何年か前にこれだったんだ!と
自分の答えを見つけられたとき、
呆気にとられてしまった。
それが分かったから、かなり生きるのが楽になった。
なーんだそんなことか!
肩の力が抜けた。
小学生でも納得する単純なことだ。
遊園地はおばけ屋敷だけじゃない
怖いジェットコースターだけじゃない。
綺麗な花畑も休憩所もあるのだ。

遊園地で迷い子だったのが、俯瞰図を渡されて全体像がみえた。視野が広がり、出口で待ってるお母さんの存在も知れたのだ。

生は目的地のわからない列車ではなかった。
生も一度きりなら死も一度きりの
壮大なるアトラクション

でも気楽に生きよう
大したことなんてないのだ。
怖がらせるお化け屋敷もあれば
遠くまで見える観覧車もある。
美味しいレストランもある。
自分で畑に種撒いたっていい。
ワンダーランドで遊んでおいでと
存在の源から送り出されたのだ。
今朝、私が息子を学校に送り出したように。

マタニティブルーもマリッジブルーも全くなかったが、十代半ばからずっとバースデーブルーだった。
誕生日に死んでしまうことは人ごとではないと思える。
自分だけかと思ってたが、同じ気持ちの人がこんなにもいるのかと驚いた。

それでも助かったのは
あるとき大きな転換があった。
ブルー(憂い)を門前払いで拒否したり逃げるのではなく、ヒタヒタと毎年訪れるそれを、愛しい恋人のように受け入れ招き入れ、そっと抱きしめてひとつになってみたのだ。
嘘のように落ち込まなくなった。
今やウェルカムである(笑)

それでもふとしたときに
この世の諸行無常の虚しさに覆われたりこの世界から逃げ出したいような
気持ちにいつの間にか覆われる時もある。
そんな時、庭に咲いた一輪のお花が私に向かって慰めてくれた気がした。

思い出すのだ 生まれてきた意味を。
魂の青写真を。
そうしたら一日一日が貴重だ。
悔いなく生きよう!遊園地で遊ぶ時間は永遠ではない。いつか誰しもそこから出るのだ。乗り忘れはないか?次回に持ち越しはなしだ。

誕生日は誰に祝われることがなくても
自分で自分を祝おう。
苦労して産んで育ててくれた親とこの世に送りだしてくれた存在の母両方に感謝しよう。














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2018年10月 1日 (月)

シュタイナーの霊学

私は高校生のときにシュタイナー教育を子安美智子さんの『ミュンヘンの中学生』を読んで知り、大きな衝撃と憧れを感じた。
この本を読んで、自分にしかできない職業(それがなんなのかはまだ分からなかったが)、、、
に将来つくためには、つまらない学校に通うのは時間の無駄で、他にもっと学ぶべきことがあるはずだ、と中退したくらいである。
窮屈な学校から脱出できてニッコニッコ笑いながら最後に校門をくぐった私の横で、亡き母は沈んだ顔をしていた。
学びには多様性が認められてる今と違って、高校中退というのは学歴社会、偏差値至上主義にとってまだ聞こえの悪い時代だった。
今思うともうちょっと両親も喜ぶような、納得するようなやり方もあったと反省するが、ロボット製造のような学校生活、無意味な校則と暗記の授業にはもう1分たりとも我慢できなかった。
あの時に将来のことを模索しだしたことは、その後の波乱万丈を差し引いても正解だったと思う。
前後して18歳になったばかりだった私はマハリシの瞑想、ヨーガに導かれた。憧れは常にインドの20年だった。

この5年ほどは伊藤武先生の元に通い、ヨーガの学びをサンスクリット語から総決算?という感じで、マルマヨーガ講座のアーサナ担当という光栄も頂いた。ジョーティッシュとアーユルヴェーダの宝石療法の仕事もチャクラというヨーガの観点から深まった。
本当に学びたいことを学んで仕事にも役立てて、人様のお役に立てれる幸せな人生に感謝である。

最近は20年目にして東西のバランスを取るカウンター的なのか、ルーツに戻るのかシュタイナーの人智学の観点からの聖書を学ぶ機会に息子通して導かれている。
インターネットにも載っていない非常にレアなことで細い糸を伝うようなお導きである。
そう、目に見えない何かがずっと私を導いてくれているのだ♡


自然栽培も、母なる自然からさまざまなことを教えられる。











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2014年7月19日 (土)

占星術の三つの範囲を知る

インド占星術はあたりすぎるから受けるのが怖い、と先日知り合ったかたに言われました。
感受性の高い方、その精度を知る人ほど鑑定を簡単には受けないのも頷けます。

けれども様々な角度からその全体像を捉えることで
何の躊躇も恐れもなく、そのなかに入り、精神的な成就の扉とすることもできます。

占星術は内側で繋がる宇宙的な関係性を表しています。
その意味と真髄、本質的なものは、個人と宇宙とは繋がって おり、リズミカルに調和している、ということを知ることにあります。
自分は過去と未来の統一体である、と理解するとき
占星術は精神性を帯びてきます。

基本的に占星術は3つの部分に分けられます。
本質的な部分と非本質的なものを区別してはじめて真に占星術を使いこなすことができるのです。

第一 :生における本質 根本的 核となるもの 真髄 あらかじめ決められた変えられない、不可避。
最も一般的には理解し難い部分。
これを知ることが占星術の真髄。

第二 :準本質的 不確か。中間の層 この層のなかでは望むように変えられる。前持って知っていれば選択肢がある 変容の可能性がある。第一と第三の中間。気づきを持つものは正しい選択をする。無知の暗闇にいるものは運命に翻弄され全てを耐え忍ばなければならない。

第三 :最も外側の部分 不確か。一般的に最も興味を持たれる部分 いきあたりばったりで本質的なものは何もない。

尋ねる価値のある本質的な質問
・自分はいかに死ぬのか?
・なぜ生きるのか?
・生きている間に何をすべきか?

占星術の価値は用い方、また用い方にどのような知識をもつかによります。
ラクシュミ・ジュエリーでは、占星術の本質的な価値を求める人に応えられるように今後さらに精進していきたいと思います。



参考図書「隠された神秘」和尚 市民出版 1999年

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2014年5月19日 (月)

野生薔薇の再現を目指して



以前に住んでいた家の近くに無人の廃屋があった。


誰も世話する人はいないのに、初夏になると毎年、大輪の真紅の薔薇のつぼみが次々上がっていくのが歩道側から見える。
次第に濃厚な香りをただよわせながら花開いていくのを観察しにいくのが毎朝の散歩コースだった。

年々、驚異的に花の数は増え続けた。
剪定する人もいなければ、肥料をやる人もいない。薔薇の栽培は手間を掛け、消毒や農薬漬けで育てる、という常識を凌駕した型破りの不思議な光景、数十、数百と咲いた肉厚の花弁と、恐竜のような棘をもつ太い幹の紅薔薇の、猛々しいまでの野生的な姿は、いくら見ても見飽きることはなかった。(しかし、近隣の人に不審者と思われるので、早々に後にせざるをえなかった)



数年後、「無人の野生薔薇」の咲く家は取り壊され、薔薇の木は跡形もなく灰色のコンクリートで固められてしまったが、あのように自然の力だけで咲き誇る薔薇の光景を再現したいというのが、自然栽培の動機の一つだ。



様々な自然栽培方法を試し、研究していた中で、植物が驚異的に育っている記事に遭遇したのだ。(脅威のアグニホートラ効果)
その記事ー古代インドのヴェーダの根幹であるアグニホートラについてー、私はあの「廃墟の野生薔薇」を再現する一つの可能性の道を直感した。



植物の成長だけでなく、様々な恩恵があることに、その奥深さと神秘を徐々に体験していった。
写真はアグニホートラを毎日行っている部屋の前で咲く薔薇と白キク。
全くの自然栽培であるどころか、白キクは種すらまいていないが年々増え続けている。 
続く





アーユルヴェーダ(古代インド生命学)の根幹、
アグニホートラ・ホーマは古代から伝わる
朝日と夕日の定時に炎と瞑想のマントラを唱える、火の浄化の手法です。
それによってできる灰には自然界を強力に浄化するエネルギーがあり、
化学物質・農薬による汚染や、毒性の強い、放射能でさえ中和させることが可能です。
アグニホートラを定期的に行うことで、その空間の大気が物質的に浄化されるだけでなく、
家族、
周辺の人々、そして自らの精神が深い平和で満たされます。
自然を浄化し、私たち自身の身心を共に浄化し、生態系も浄化されていきます。
ホマセラピー
http://agnihotra-japan.jimdo.com/より

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2012年12月 3日 (月)

感謝のお手紙

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サロンから望む日の出







Agnihotra:日の出・日の入りに行うホウマの解説



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Dsc01379



 ジュエリーを作成された方からいただいたお手紙
最近はメールが多くなりましたが、少し前まで、頂いていたお手紙はすべて大切に宝箱の中に入れて、祭壇においています。
保管しているお手紙は、いつかAgnihotraの火で感謝を込めてお炊き上げしたいと思います。







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2012年11月27日 (火)

「1984年」と3S政策


 高校生のときに、国語の授業で副読本として読んだ「高校生のための批評入門」が、人生の大きな分岐点となった。思ってもみないところに、天恵が隠されているところが人生面白い。。世界はそんな狭いものではないよ、とこの本は広い世界をさししめしてくれた、水先案内人だった。

しょっぱなの「緑のパントマイム」に出てくるスンヒルトのように世間一般のものさしではなく、自分がどう感じるのか?積極的に生きたい、と強烈思ったことは今でも色あせてはいない。
が、この本を読んで一番良かったのは具体的な記述は数行だったと思うが、所謂「3S政策(愚民化政策)」テレビやマスコミのカラクリに気付かせてくれる箇所があったことである。



 未来小説「1984年」ジョージオーゥエル作、を手にするには、村上春樹が小説「1Q84」として、(タイトルだけでも)再浮上してくれるまでに20年以上の歳月があったが、小説「1984年」は、一本の線で「高校性のための批評入門」と私の中では繋がっている。
世界はかつてないスピードで破滅の道、もしくは光の道へと二極化されてきた。
反ユートピア社会を描いたオーゥエルの卓越した想像力、先見の明に唸りながら、このようなある意味「完璧な地獄絵図」の実現を阻止すべく、(すでにいくつかは現実となっているが)と読むか、作者は意外な立場から青写真を見せただけなのか?によって読後感は違ったものになる。
が、どちらにせよ、「知らない」こと、無関心なままに、自ら奴隷化されていくことに疑問を感じないのではなく、また真実を知ったことで、恐怖に陥いり未来に絶望するのでもなく、いまここで生きているところから、混沌としたすべてを見る訓練、中庸さが更に自分自身必要であり、そのような時代になっていくように思う。







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2012年6月19日 (火)

傘を差そう①アーユルヴェーダ古典より

「特に夏及び雨季、気温、風、雨などの環境因子から頭を保護するために、帽子を着用し、傘を携帯すべきである。傘は太陽の直射日光による悪い影響から全身を保護し、皮膚の色を守り、強烈な光から目を守る。」



「傘を差すことは悪い星回りを鎮め、身体に強さを増し、直射日光、風、ホコリ、水の
防御にもなり身体を保護する。」



「傘をさすことは皮膚を保護し、オージャス(活気 精気)を高める」
と、チャラカはじめ、アーユルヴェーダの古典には記されています。



今日は大雨のなか、お越しくださったかたがたはお疲れ様でした。
(通常火曜は定休ですが、新月のせいか、イレギュラーな来訪が重なりました)
ぎらぎらと照りつける日差しの強さも、吹きつける冷たい雨風からも、傘は身を守ってくれます。ジョーティシュの宝石は見えない盾や傘に例えられるのですが、たしかに例えのとおりとてもよく役割が似ていると思います。



 ジョーティシュ及びアーユルヴェーダというインドの古代叡智では、宝石は最吉兆な、まさしく宝物であり、その美しさ、類まれなる力を崇め、神の化身と尊ばれてきたことが文献には幾度となく記されています。



宝石、貴金属を身につけることは幸運を与え、オージャスを増し、悪い星回りを追放する、罪、不運をなくすなど、装飾品で身体を飾ることを奨励しているのです。



しかし、今日において、宝石ほどまた、人間の欲の権化、富の象徴、あまつさえ金儲けの手段とされ、蔑ずみ、見下し、避けられている側面があります。理知的な人ほどその傾向があるかもしれません。
しかしながら、宝石の真の価値を時を、経た古代の文献は静かに囁きかけてくるのです。
(続く)
Dsc00017


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