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2017年7月22日 (土)

二歩進んで三歩下がるプラーナ摂取プロセス

プラーナ生活に入り10日ほど過ぎ、食べることから自由になってきている快適さとこれまでの食べる習慣に意識的になりつつ、
行きつ戻りつ、2歩進んで3歩下がりながらプラーナ栄養を摂取する、という可能性に開かれてきました。

それにしてもこれまでの人生いかに人一倍、子供の頃から食べ物に、食べることはもとより料理することや
外食も含めて慰められ癒されてきたのだろう。

それが生きる喜び全てだったといっても過言ではなく、食べることが生きがいでした。

料理は人生を彩るクリエイティビティの発露であり、穴の空いたバケツに日々注ぎ込むように食を追いかけて享受していれば、向き合わずに済む虚しさ 退屈さ、究極的な理由なき存在の悲しみ。
それらが物理的に食べなくなると時間やエネルギーが
できるぶん、むき出しになって出てくる感じがあります。

そんなとき、ワンネスで学んだことがとても役に立っていて、出てくるもの全て、否定的なマインドであれ【変えようとせず分析せず】

ただその虚しさを受け入れ、
体験するようにすると、心理的にジタバタするような葛藤も生じないのです。

いかにこれまで
飲んだり食べたりして気晴らしして
紛らわして飲み食いで癒されてきたのかが如実に分かります。

以前は味覚の、また満腹感の虜、慢性的な中毒だったのが
徐々に健全な付き合いになってきてるのが何より嬉しい。

味わいもせず習慣的に口に詰め込んでは食べ過ぎて気分が悪くなり
体が重くなる悪循環より
少量でもよく味わって感謝が沸き起こるような食べ方をしていきたい。

精妙な栄養素を取り入れるのに
サンゲイジング(朝日からエネルギーを吸収する)というのもありますが
プラーナ生活においても日の出を見るのが基盤であります。

私は日の出前に起きることが長年の切実な願望でー精妙な栄養を得ることに魂から求めていましたー
が、なかなか実現できなかったのが、
今はアグニホートラの実践通して目覚ましなしでも夜明け前の一番静寂のときに自然に起きれるようになりました。


アグニホートラは自分が自然界からヒーリングを受けるだけでなく、地球に癒しを与えているという相互作用が
他にはない深い満足感を与えてくれるのです。

私という個人が人間として心穏やかにこの地球で生きていくには、
瞑想〜アグニホートラ〜プラーナ生活へと20年以上かけて見つけてきた、
この星での歩き方をガイドに一人で旅することのようです。

これからはたまには立ち止まって心惹かれる風景の絵を描いたり
物語を紡いだりもしながら、
残りの人生を楽しもうとリラックスしてきました

物理的な食が減ることは
焦りや恐れも減ることにつながり、
喜びは聖なる栄養素の摂取率が高まることと比例するのを実感しています。

それと醜形恐怖ぎみで自分の顔を
まともに見れない時期も長かったのですが、プラーナ摂取とともに改善しつつあります。






























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2017年7月16日 (日)

プラーナ生活の幕開け4

アーユルヴェーダでは消化力の高まるお昼に
1日のうちでメインになる食事をとることを勧めています。
胃の中の消化力としてのアグニと実際の太陽としてのアグニの力を
関連づけていて、私もこの教えでこれまで20年以上、
朝も前夜もほとんど食べてない空腹で
ドカンとお昼に食欲をぶつけてきました。
それが人生の喜びでしたがたいてい食べすぎます。

苦しいくらいに食べないと満足感がないのです
食後のデザートやスナック菓子も食べてやっと
落ち着くのです。

これでどうなるかというと、昼食後に食べ過ぎた
食糧の消化のためと眠気を振り払うために散歩
する必要が出てきます。
すると午後は散歩の疲れもあってほとんど
家事や仕事への余力がなくなっているのです。

大いに食べて大いに運動して、、それが生きるということでも
エネルギーの損失だとあるときから虚しい繰り返しに思えてきました。
それでも食べることもやめられません。
人生が袋小路にはまったような不愉快さがお腹にも感情的にもあって
はやくここから抜け出したいと心のどこかで願っていたと思います。

アーユルヴェーダとヨーガは同じインドの智慧ヴェーダを
親とする姉妹関係にあたる知識といっても、
寄って立つところが違う(肉体なのか より精妙体なのか)
ので、両方知っておくべき知識ではありますが
自分は今どっちよりで生きたいのか、どっちの知識が
合っているのかを明確にしておくと無駄がないと思います。

私ははこのアーユルヴェーダとヨーガ両方を実践していたがために
日常生活ー食事法から性生活から全く真逆といってもいい教えに
迷い 疑問が多かったのです。
あくまで一般論ではなく自分の心身の健康に
役に立つか否か。生命力の無駄遣いになっていないかどうかです。

今後はキネシオロジーも習得したことで
全て迷いは最終的には真我が知っていると
確認できるようになりよかったですが
これまで時間を浪費してしまった感はあるので
残りの人生は迷うことなく楽しんでいきたいです。

プラーナ生活にシフトして1週間、必要だからではなく
楽しむために、好きだから食べる、もしくは
お腹は欲しがってないので食べないという選択ができるように
なってきました

人間のもつ5感の喜びを体験したいので
味覚も十分楽しんでいきたい。

私にとってはキネシオロジーで出た通り
プラーナと物理的食べ物の割合が
9:1〜か9:2くらいがやはりちょうどいいようです。

これまでからすると減ったぶん、愛とともに与えられたもの
をより味わうようになりました。
何も考えずに手を伸ばしていたお菓子やアイスクリームなど
ほとんど食べなくなりましたが、

昨日は息子の中学校で近所の方が収穫したジャガイモを
保護者の方がたと一緒に調理して茹でたものをいただきましたが
最高でした。

ブッダは本当は欲望を否定したのではなく渇望を
人間の苦しみとしたそうですが
食べること 生きること全部に当てはまる
ような気がします。

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2017年7月14日 (金)

プラーナ生活の幕開け3

アーユルヴェーダやベジタリアンの栄養学や料理の勉強がとても好きでしたが何は良くて何はダメ、何を取るべきという物理的な食料からのみ栄養を取る以上は避けては通れないジャッジメントがあり、

そんなに食べたくないものを食べなければならない、もしくは食べたいものが食べられないということも当然出て
きます。

本当の意味でたべものを楽しめるのは
逆にプラーナ食になってからなのだと今は実感しています。
なぜなら完全なる栄養素のエッセンスであり最も純粋ー殺虫剤とも遺伝子組み換えもない、しかも無料のー

プラーナを通常的に存分に得ていれば、食料は何かの欠乏のために補給すべきものではなく、単純に楽しむために好きなものを選べられるのです。

そのとき食べたい!と思ったものを
食べたい時に食べられるのです。
それが栄養学やアーユルヴェーダでどんなに勧められなくともOKなのです。これは素晴らしい超越です。

プラーナで生きる場合全て教えは自分の内側にあります。
外側で知った栄養学や何かの食事法の知識も利用はしますが、それだけによりません。
知識がマスターなのではなく内なる自己が主導権もつマスターとなる転換です。

ただ、内側を観ることを通してそれを食べたらどうなるか?食べたらどうなったかをよく観察します。

実際に食べてみて体が重くなったり眠気が襲ってきて鈍くなったり気分悪くなれば、次からは自然と減っていくだけです。
抑圧も我慢もありません。

この自由が好きです。
人には嗜好があります。
美味しいと思う大好きなものは
それがなんであれ頭でジャッジせず体験すべきです。

私はタイやメキシコ 、インドの料理の
香りや味が大好きです
多分前世から持ち越してる性分なので
魂が喜ぶわけです。
昨日の朝は畑で仲間からとれたてのキュウリやトマトを分けてもらったのでいただき、
朝のウォーキングのあと冷房の効いた
近所のイトーヨーカドーで寛げるスペースもたくさんあるので
よく休憩しますが
ここで備えつけのお湯で好物のトムヤムクンカップヌードルをいただくのが最近の楽しみでした
少しタイのフードコート感でいただいてる感があるのです。

プラーナ食への移行は固形物から水分のみで今はジャスムヒーンさんも4-5年かけてゆっくり変化するプロセスを
オススメしてるようです。

久しぶりに炭水化物を食べましたが自分が味わいたかったのはトムヤムクンのスープだけだったと分かりました。

ちょっと迷いましたが最初から麺抜きにせず、体験することで
次回はスープだけにしようと自然に思えました
栄養のためではなくただ好きだからそれを味わっているというとても喜びがありました。

以前はほとんど内側を無視して
どんなに胃が悲鳴をあげようと
食べまくっていました。
今は以前より量が少なくなっただけで食べてるものは同じですが
その体験は色鮮やかに変化してきています。

睡眠時間は2-3時間に減ってきています。
この4-5日はプラーナ食への移行期で
8-9割プラーナで残りは物理的な食べ物という比重ですが
どちらも楽しめて
いいバランスです。

これまでより食べる量が減り代謝も落ちて4-5日は体の動きもゆっくりで
ノロノロしてましたが
今日あたりから普通に動ける感じになってきました。
すぐに調子よくなるわけではなく人によって調整期間があると思います。

体重は微妙な減少ですが無駄な脂肪が少しづつ薄皮をはぐように落ちていって、ずっとこの時を待っていたんだなー
10年、いやそれ以上、、。
仙女的ななりたい自分と現実のギャップに苦しんできましたが
徐々に近づいてきているようです。


















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2017年7月13日 (木)

プラーナ生活の幕開け2

10年前にジャスムヒーンさんの「神々の食べもの」を読んだときは、「世界には美味しいものがたくさんあり料理は芸術と愛情の表現なのに何を好き好んで食べない生活などありえない。」
でした。
プラーナ食に移行した今もそう思います。

今は感覚的にはお腹が減らないので
食べなくてもいい状態で
これまでだったら食事してた時間に美味しい匂いがすると
食欲が出ても香りだけで満足できるように変化してきたのには
驚きました。

それでも頑なに何も食べない、というのではなく
家族や友人が自分のために買ってきてくれたものや
畑で取れたての野菜はいただこうと思ってます

昨日は夫が買っておいてくれたブドウとモモ、
わらび餅と自分が畑で育てたきゅうりは味噌をつけ
トマトはバジルで風味をつけていただきました。
最高の味覚と風味、自然の恵みを心から楽しみましたが
これまでの大食いぶりからすると
量が劇変し少なくなり1/10くらいで
そのぶん息子の取り分が増えて喜んでます。
これまでは奪い合って食べてました(笑)

自らお店で美味しいものを物色して
買い求めることはこの6日間なくなりました。
これまで外食するときも量が少ないと不満で
バイキングが大好きでしたが
この豊食の時代の恩恵も存分に享受しました。
お腹が破裂するくらい食べものを詰め込むことも
もう十分楽しんできたので
残りの人生また違った食べものープラーナーを
摂取していくプロセスに自然に入れたのだと思います。

20代でアトピー性皮膚炎改善のため菜食になってからは、
人一倍食べることと料理がすきだったので、
美味しいベジタリアン料理を作り
家族に食べさせることが喜びでした。

息子もまたアトピーで全身爛れて
痒みで泣き叫ぶ夜が続き、眠れずに苦しみましたが、
ベジタリアンからさらに軽い食事法の
生菜食を知り離乳食で与えたところ症状が改善したことで、
肉類を野菜に置き換える菜食だけでなく、生きた酵素ーこれをプラーナと表現することもあるようですがーを取り入れるようになりました。
その第一人者である松田麻美子先生の勉強会には15年ほど前に定期的に通い勉強しました。

しかし、いわゆるローフードというのは外国から取り寄せた食材や
ブレンダーを多用するのが私には負担で不自然に思えて、
もっとシンプルに丁寧に新鮮な野菜や果物にかぶりついて楽しみたいと思ってたところ
2011年に畑を近所に借りれて野菜やハーブを作ることができるようになったのでした。

ジャスムヒーンさんのワークショップ2日目に
ジャンクフードとジャンクな性的行為に類似性があることが
分かりましたが食に限らず中毒と依存からの解放、
人生の奴隷ではなくマスターと自覚する時が今満ちました。

義務的に食べるのではなく
好きだから食べる 楽しむために食べる 感謝して食べる。
また食べないことも選べるという自由な選択肢の中
本当に自分にとって心地よい状態とは何か?
を知るには、自分の心と体を観ることが必要ですが

いかにいままで無意識だったんだろうと
体の不快さを無視してきたんだろうと
思います。
その背後には虚しさや満たされない飢餓感があったため
食べものが慰めとなっていたのです。

単に食べない、量を減らすのではなく
満たされてるから量が減っていくのです。
何で満たすかというと私たち人類が本当は心の奥底で誰しも求めている
無条件の愛です。
それはプラーナとして呼吸で取り入れられるのだと
ジャスムヒーンさんは言います。

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2017年7月12日 (水)

プラーナ生活の幕開け

ジャスムヒーンさんの4日間のワークショップでは
たくさんの知識と瞑想法 マントラ(パワーコード)
自己ヒーリングなどを伝授いただきましたが
何より実際にプラーナー慈愛と平安の中で生きている
生きたお手本、進化した人間の姿を見せてもらいました
あの声や表情がありありと私の中で
再現されます。

著作でもプラーナで生きるための
たくさんの情報や瞑想を公開してますが
実際にお会いして伝えてもらうことは
重要だと思いました。

4日間で105000円という大金で
うちから遠い会場まで連日通うことは
通常の私の感覚からしたらまずありえないのですが

食費が減るなら安いものだ、と夫は言ってくれましたが
金額以上の価値があったと思います

来日を知った時
理屈ではなく参加したいと強く思い
終わってみて思うに、これは瞑想を始めた
17-8才の時から全ては
プラーナで生きるための準備
だったのではないか、

さらに遡れば最初のサマーディの体験。
幼少時、押入れの中で体験した
暗闇の中で無限に拡大する
純粋な意識の安心感にずっと
惹かれ導かれてきたように思います

しかし、よくありのままーあるがままを
受け入るなどと人は言いますが、
私はありのまま あるがままの
自分など到底受け入れられませんでした

人からも受け入れられない
人生を過ごしてきました。
一般的な価値観や感覚が
180度逆さまに思うことが多く
ずっと変わり者とされてきて
いこごちの悪い違和感を
どこにいっても感じてきました。

菜食になって改善するまでは
20代半ばまではアトピー性皮膚炎もひどく
醜い姿で痒みに苛まされ
生きてること自体が苦痛でした

そんな中せめて仕事だけは
やりがいのある、
自分の学びたいことを深めたいと
高校生の時から痛切に願いました。
そのためにこれまで学んで実践してきたことー

瞑想 アーユルヴェーダ ワンネス
タオ アグニホートラ
マルマヨーガ サンスクリット語
植物を育てること 自然栽培 宝石療法の仕事
音楽 ダイナミック瞑想会諸々
今回全て繋がって
さらに展開していくのに大きな恩恵をうけました

一歩外に出ればスピリチュアリズムへの偏見 そして抑圧
否定の中でこれまで過ごしてきましたが
ジャスムヒーンさんに会い、それらも氷解され
なんとこれまで自分は孤独だったんだろう
と思うと涙が自然と溢れて魂が癒されました。

常識的にはぶっ飛んだことばかりですが
こういうこと自分は知りたかった 、
ということのオンパレードでした。

私同様
プラーナで生きること 人間の制限から自由になっていくための情報やツール
を必要としてる人というのは
ごく少数だと思いますが
皆無ではないはずなので
今後は自分の実践と気づきを深めつつ
学んだことを
分かち合っていきたいと思っています。


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2017年7月 6日 (木)

7/7満月瞑想集会-ダイナミック愛好会

7/7満月瞑想集会 vol.22
https://www.facebook.com/events/1701313940170699/?ti=iclhttps://www.facebook.com/events/1701313940170699/?ti=icl

2年間続けてきた成果
・ダイナミック瞑想が意外と深まった
・アイパッドでDjアプリを使うようになって
操作も慣れてきて踊り瞑想で使う音楽を
探してかっちょいい音楽にたくさん出会えた
・共催メンバーやレギュラーで来てくれる人と細く長くコミュニケーションが深まった
・この二年間は7/8から4日間のジャスムヒーンさんの準備だったのではないだろうか
と思ってしまう

二年間やってきてイマイチだな〜
と思うのはヨーガの体操やってても
グループ瞑想の価値のわかる人って
そんなにまだいない?
需要がないんだなということだ。

ダイナミック瞑想はなんだかんだいって
オショーサニヤシン向けなんだろうか
といってもサニヤシンも来ないがw

体操ヨーガから一歩進んで
サマーディな瞑想の境地を体験すべく
様々なヨーガの流派の垣根を超えて
これは面白い!といってくれる人が
ごく少数でもいてくれて感謝だが
もっといるかと思ったw

1回きてもそれきりだったりで
一期一会もいいがレギュラーメンバーが
あと2-3名いてくれると心強いと思う

お金を稼ぐためでもなく
何をモチベーションとして瞑想会
やってるかといえば
気持ちいい瞑想をしたいということ
ワンネスの使命として
集合の祈りをすること
そして何よりダイナミックに続けての
歌い踊り瞑想にピッタンコな曲がみつかったとき
それを一人聞いてるとたまらなく
無我の境地で踊る体験を分かち合いたい
それをしたい!しなければならないと
まで思ってしまう。
瞑想会のおかげで音楽を聴く、
歌う、踊る喜びの体験が蘇った のは
間違いない

瞑想も音楽もなくても死なない
人生に不可欠なものじゃない
だけど
人生を楽しむには不可欠なのだ。

誰も受けてがいなくとも
あなた自身の歌を歌うのだ!踊るのだと
オショーの声が聞こえる。私の背中を押す。

石の上にも3年というし
まだ道半ば。来ては去っていく雲を眺めつつ
やりますか、、!

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2017年6月24日 (土)

夏至が過ぎて一番朝早い時間は超えたといっても4:32。
自然と起きれて、前の晩は気持ちよく入眠できるようになったのは
アグニホートラのおかげである。

その後3時間くらい植物に水やりしたり植え替えたり
収穫したり刈ったり撒いたり株分けしたり
土にまみれて夢中で手入れをして、
少し余裕があれば写真を撮ったり
瞑想やヨーガアーサナも
以前のように義務感で
やるのではなく、
その日の気分でやるようになった。

朝起きたらまず自分のやりたいことをすると決めると
どんなに眠くても布団から出れるとどこかで読んだ。
マザーディヴァインと共同の芸術行為は
最高のモチベーションだ。

昨日15、6の頃から好きだった
女性ミュージシャンのことを
ふと思い出しブログを数年ぶりにみたら
4年くらい更新なしで遡って読むと
ガンの手術で一命を取り留めたものの
不眠と不安で精神安定剤を
沢山飲んでも効かないこと
鬱から逃れるために多幸感をますドラッグ渇望し
歳をとることの恐れを綴っておられた。
(多分、自殺念慮で)
精神病院にも入院してたことが書かれていた。

当時、退廃的 背徳的 耽美さが魅力だった
Mさんらしいとも言えるが
年齢を重ねる年月が、芳醇な味わい深い
人生を醸すことなくビニールでできた人工的な
薔薇は時間とともに色褪せ
ヨレてしまう定めなら、どこかで造花ではなく
本物の花を咲かせる方に意識を変えていく
必要があるのではないか
自分は今は気持ちよく眠れて起きれているが、
Mさんのように眠れない夜と
起きれない 起きたくない朝の不毛で
無意味でただ時間だけが過ぎていく虚しい
日々が山ほどあった。
しかしドラッグや薬ではなく
20数年前に瞑想に導かれた。
アグニホートラはその中でも主観的に
最高のナチュラルトリップだ。
Mさんのような状況の、またかつての自分のような人にこそ
体験してもらいたいと切に思う。
人に伝えるのも難しいが一人細々とでも続け、
実際の植物の生命力で証明していく他ない。

Img_4115_2
在りし日のビニールローズなMさんことマリリン(有機生命体)

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2017年6月10日 (土)

満月瞑想集会21回目

https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/?ref=bookmarks高尾ダイナミック愛好会

でした
帰って満足感とともに
布団で寝てたらやっと
満月が顔出してくれて綺麗でした

昨日は歌い瞑想でメンバーのリクエスト曲をかけたり、

愛知から急遽参加してくれたヨーガの友人に
シヴァやガヤートリのマントラ曲を贈ったりで改めて
アイパッドのDJアプリに感謝

かつてない、瞑想とDJが融合できる
すごい時代に生きてることに感謝してもしきれない。

来月で二年目になる瞑想集会、
より統合された瞑想が深まるように
男女の比率が同じになるよう
男性の参加者がもっと増えるといいなと思う。












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2017年6月 8日 (木)

様々なインドの聖者

昨日はLaxmiltd.のインド占星術鑑定に長年インドのサイババの元で学んでおられる方がたにおいでいただいた。

日の入りのアグニホートラにも
参加いただいて、ともにマントラを詠唱した。ありがたいひと時だった。

これまでも事あるごとに
サイババにご縁にある方には
強力に助けていただいている。

元は私たちがそうであるので
10年以上前はマハリシマヘーシュヨギの瞑想実践者者専門だった。

徐々に口コミやご紹介で、
様々なインドの聖者の元で学んでいる方々ーサイババ、アマチ、カルキ、オショー、あるヨギの自叙伝のパラマハンサヨガナンダなどなどにおいでいただいてきた。

ヨーガやアーユルヴェーダの学びをされてる方々にも幅広く仕事を通して出会えるおかげで、たくさんの恩恵をいただいている。改めて感謝。

究極は同じでも、個性は様々多様で
どんな先生(グル)に縁があるか、自分に合っているかは
それぞれで、個人的なものである。
偏見やせまい思い込みで他をジャッジすることから
宗教は争いの元凶や権力者に独占されてきた。

ヴェーダの恩恵は特定の人たちだけではない。
万人・地球全体に幸福をもたらすアグニホートラの実践を礎に、laxmiltd.での宝石療法の仕事とアグニホートラ瞑想センターでの活動両方に取り組んでいきたい。











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2017年5月26日 (金)

アンマの世界平和と個人的な道

昨日は朝イチで6/9のダイナミック愛好会の瞑想会案内をフェイスブックページにアップし、
夜はアンマの世界平和の祈りをしにいくという
同じインド由来でも相反する二つのものでちょっと内側では混沌なかんじだったが
まさに6/9の瞑想会のテーマ、陰陽統合への布石ともいえる絶好の一日だったのだろう。

瞑想一つとっても
アンマとオショーじゃゴールは同じでもプロセスは全く正反対。

オーソドックスで伝統的 禁欲的なインドの教えのアンマに対して
オショーの言うことや瞑想は
なんと非伝統的、タントラ的 革新的なんだろうとコントラストがはっきりする。

どちらもわたしにとっては
合ってるところと
そうでないところがあり、
取捨選択するのは
全面的に入り込んで一途だった
TM瞑想での教訓もある。

自分が全面的に信頼するのは
無限の内なる【存在】や個人的な
神、創造した神の顕在であり、
それを教えてくれた先生に
感謝はしても先生自身を聖者 神の化身と崇め奉るインド的な
グルイズムは、(神の依り代ではあるのだろうが)
気持ちを醒めさせられて
独りの感覚を強めさせられる。

アンマの組織はそれがお金儲けのビジネスとなってはいないが
グルイズムについていけないのは
自分がインドではなく今生で
日本に生まれた日本人である所以だろう。

マイナスに傾けば孤独感だが、
そんなときこそ乾いた砂地に染み込む水のような働きで、独りあることを教えてくれるのだ。

とはいえどもアンマの環境保護活動、
自然と個人の繋がりにおいては
この15年でとても啓蒙されていて
トゥラシー育てたり、
自然栽培のためにアグニホートラすることに繋がっている。

すでにあるものは帯に短かし襷に長しで、心から満足できるパーフェクトなものなどないのだから
自分にフィットするものを見つけて
人生という貴重な時間をいかにハッピーに生きるか追求するのみだ。









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