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2017年10月21日 (土)

似て非なるもの

推理小説のネタバラシが先にあったら、感動も半減するのかもしれません。

答えのわかってるクイズも、正解した喜びは味わえないとは思います。

謎だから、謎解きは面白いのです。

それでも、この世に生を受けた意味がわかったときには、これまで目的地のない電車に乗っていたような、目隠しして歩かされてきたような、ひっかけ問題に苦悶していたように思えてしまいました。

インターネット見せるには親は子に
年齢相応にフィルターかけるのと同じで、時が満ちたときに人間は真に生まれてきた意味をしるのかもしれません。

人生は謎解きゲームだという意味がやっと理解されました。

それ先に教えてくれたらもっとラクに生きれたのに 、、と思いましたが
考えてみれば、これまで誰かの言葉だったり本から、真に生きるとは真に死ぬこととみたり、的な逆説的なことはよく見聞するものです。

しかし単なる、生まれてきた人間全員に宿命づけられてる死ではなく、
似ていても180度違う死に方をするために生まれてきたということは、
前世というものがあるなら、次こそは!と思ったのかもしれません。

自殺願望と、自らの意思で魂の故郷へと戻っていくマハサマーディの成就は、似ていても、真逆に百八十度違います。

飢餓とプラーナで生きてることも、物理的な食べ物を食べないのは同じでも、恐れと幸福感という全く真逆の異なる意識状態です。

世界平和も、不安や恐れから武器や兵器で武装した争いのない状態と、無敵性故に武装の必要性から解放されたワンネスの意識状態は似て非なるものです。

そのような状態へ人類が進化していく今は途中ではありますが、数百年後には、実現している未来を思い描いていきたいと思います。






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2017年10月16日 (月)

10/6以来のアグニホートラ日誌です。
日々、書きたいことは溢れてきますが
視力回復のためにディスプレイを見るのをできる限り必要最低限にしているので、今後長文での投稿は減っていきそうです。

そのぶん、日々の生活で出会う人や身近な家族との付き合いの中で、私なりに伝えたり表現していきたいと思います。

先日誕生日で46年目迎えて、やっと
自分の生まれた意味、魂の目的がわかったことが、とても落ち着いた気持ちにさせてくれました。

誕生日が嬉しいのは子供のうちだけで
20歳過ぎたあたりから歳をとることは死に近くづくことと、あんまり嬉しくなくなって来る方が多いと思います。

私の場合は15、6の時にはそれが出てきて、18歳を迎える前にはかなり絶望的だったのを覚えてます。

今風に言えば中二病なのかもしれませんが、大人になりたくなかったのです。

当時チェルノブイリの原発事故があったりして、地球環境のおかれてる状況を知って、厭世的なノーフューチャーになっていったのもあります。

けれども、若くしてこの世をドロップアウトすべく、ドラッグで死んで行くパンクロッカーのようにもなれず、
なんとか、生老病死を繰り返す牢獄のような人生から、抜け出す秘策があるんじゃないか、という揺るぎない直感がありました。

そのためには学校に行く時間がとてつもなく無駄に思えて、探す旅に出るべく高校3年の夏休み前に中退したのです。

シュタイナー教育を偶々、高校の現代国語の副読本通して知ったのが大きな天啓でした。

それから瞑想を習い、海外にもいくつもりが、母が癌でその1年後には亡くなり、留学への意欲が有耶無耶になって、東京の美術学校に籍を置いてアルバイトしながら、たくさんの本を読み魂に響く音楽を探しました。

当時住んで働いてた、中野〜東高円寺 北新宿あたりはそれをするのにぴったりな環境で、古本屋やレコード屋を周りながらサイケデリックに設えた古アパートの部屋で一人暮らしを満喫しました。

しかし15、6で始まった生老病死への漠然とした恐れは毎年誕生日が来るたびに根強くなっていきました。

基本的に孤独なのですが、
祝ってくれる人がいても
ますます孤独感が強まるのです。
一年で最もおめでたい日がちっとも
おめでたいとは思えない、
人と違う考えの自分に、孤独と分離感がマックスに高まっては落ち込むのです。

時間が1分1秒進むのが死へのカウントダウンに思えていてもたってもいられなくなり、
大抵、布団の中で死体のポーズで、
頭を空っぽにすべく、やり過ごすのです。

そう言えば高校生のときも、学校に行きたくなくて、親が出かける頃コッソリ戻って、制服も脱がずに死んだように
死体のポーズで布団の中でじっとしているのが至福でした。

まだ瞑想もヨーガも習う前ですが、どんだけ死体のポーズが好きなんだっ(笑)

生まれついてのヨーギンなのでしょうか。

そんな感じで、結婚しても子供ができても、美味しいもの食べても、誕生日というのは自分がこの世に生まれてきた儚さ、無意味さがクローズアップされる虚しい日に変わりはなかったのですが

今思うとまさに、暗闇に直面すべき魂の青写真を思い出す、真に祝福すべき前夜が毎年巡ってきてたんだな〜と思います。

なぜなら、やっとですが
最近、自分が生まれてきた意味がハッキリ分かり、言語化することができたんです。

これまで超越瞑想、ヨーガ、音楽、アート、(好きなのは昔からピーターマックスとアウトサイダーアート)ワンネス寺院に アグニホートラにオショーの瞑想に プラーナで生きること、最近はそこからヨーガナンダさんの本も読んで人間の可能性に開眼してましたが、
私が心から望んだ【生きる智慧】を学ぶように導いてくれた、大いなる存在が、いつも私を守護してくれて養ってくれてたことが明確に確信されたんです。

それらがなんのためなのか?
という究極のところがわかって今
とてもスッキリしてるのです

学校の勉強も目的があって始めて学ぶ意義が出てくるのです。

大学受験のための高校の授業や試験は、自分の本当に学びたいことは、既存の大学にはないことが分かってた私にとって無意味極まるものでした。
だからこそ、シュタイナー教育に衝撃を受けたんだと思います。

私は今、これまで様々に自分が興味持ったり導かれたことの目的が分かりました。
それはまるでコインの表裏のように
すでにあるのに背面で気付かれなかったのです。

ハッピーに生きることを切望した
B面だったわけです。




































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2017年10月 6日 (金)

朝起きるとまず、シャトルシェフ(保温調理器)に、昨日用意しておいたスープストック(季節の野菜をスパイスと少しのギーで作る)に、一晩水に浸してぷっくり膨らんだ、ひよこ豆を投入。
火にかけ、またシャトルシェフに戻しておくと昼には美味しい豆スープができてる。器によそってから挽きたての黒胡椒と岩塩を振りかける。

まいてもないのに、
毎年畑に出てくれる、
香り高い荏胡麻の葉っぱと穂。
醤油とすりゴマ七味唐辛子で漬けておく。

赤紫蘇も塩で揉んで梅干しに載せておくと赤く染まっていく。

料理が好きなんだな〜と改めて思う。
美味しくてつい食べ過ぎてしまう。

週2日は断食で、その前後も
減食で、普通に食べる週一回も
以前に比べたら少なくなった。

料理して食べること
食べないこと両方
が味わい深くなってきている。





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2017年9月18日 (月)

ジョーティシュでは出生図から、運命改善と健康のために断食を特定の曜日に勧める場合があります。

私の場合は土曜と火曜で、
ここのところ随分食べる量も減ってヴィーガン&ローフード率も高まりました。

前後日からさらに減らして、その曜日火曜と土曜は完全に水のみに、ラクにできるかと思いきや、そうもいかず、というか逆に辛くなってしまい意外でした。

断食を意識してない、普段の方が食べないことを楽しめられたのはなぜなのだろう?

自ら制限したり、周囲からプレッシャーかけられると、かえって逆効果的になるようです。

運命改善のために、苦行的に食の喜びを断とうとすると、無理が生じるのです。

無理しても反動で食べすぎるのではないかと思います。

食欲を抑圧しようすると、格闘することになり、食べることで罪悪感すら生じてしまっては本末転倒、元の木阿弥だになってしまいます。

気持ちよすぎて食べることを忘れてしまうような、
呼吸だけで十分な境地になり自然と食べない状態になることこそ目指すところです。

なんでも、追い込むときも必要だけど、一生それを続けられるのか?続けたいのか?を
自答しながら長期的に取り組んでいこうと思います。




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2017年9月11日 (月)

世界の飢餓問題に心痛めるか、遠い国のことだと無関心になるか、、、。

もっと卑近なことですが、自分が食べなくなったぶんを家族に回せるようになってきて、特にお菓子は以前は息子のぶんまで争って食べていた(苦笑)のがなくなりました。

美味しそうな料理の香りだけで満足できるようになったのも新しい境地です。

自分は食べなくとも料理するだけで幸福感と満足感があるのです。

スーパーの食料品売り場で
家族のための食材を買うため歩きながらふと思ったこと。

子供が産まれた時点で母親は徐々に食べる量減らして、
子供が食べ盛りになったら、
自分の分も食べてもらう。

そして徐々に量を減らして死期を迎える頃にはブレザリアンになってれば、ちょうどいい死に方ができる、というアイディアです。

飽食の日本に住む主婦の多くは、
中年太りや様々な老化現象、病気に苦しむ。

肉体の成長期はとうに過ぎてるのに
子供といっしょになって、もしくはそれ以上に食べまくっていれば無理もないということに気づいた。

ところで整形依存、、というか
外見の美にこだわる美のあくなき
追求者たちがいます。

作家の中村うさぎさんは、
美容整形だけでなく様々な依存症を経ていますが、最近難病により臨死体験をされて、ますます興味深い。

整形サイボーグのヴァニラさんは
たまたま自伝書的なのを数年前に立ち読んで興味持ちました。
テレビに出たのもたくさんユーチューブにあります。

美のためなら死んでもいいという過激なところは、悟りのためなら命を落としても構わない求道者のように思えます。

外部からは病んでる、精神科いけという声があるようですが、
美容への脅迫的依存症、ある種の醜形恐怖症なのだと思います。

中村うさぎさんもヴァニラさんも世間の健康法とは離れたところで精一杯濃く生きています。

お二人とも夜型で、
ヴァニラさんはインタビューによると夜中の3時にに肉料理を食べてたり、ペットに蛇とコウモリを飼ってることなど一般的には不気味なのだろうがユニークです。

子供の時ブサイクでいじめられたのでフランス人形目指したそうですが、いじめれたのは外見というより、人と違うところや美しい声が象徴するピュアさだったのではないかと思います。

人間的な外見と内面のギャップに苦んで、自分がなくなって消えてしまいたいというのは、
それは私も同じで依存先が美容整形ではなく瞑想だったのがまだ幸いでした。

痛い思いして、
お金払ってする整形手術での美の追求は私の人生にはなかったのですが
美への憧れは子供の時から人一倍ありました。

フランス人形というより
エースを狙えのお蝶夫人みたいに大人になったらなりたい、と本気で心に決めていたのです(笑)

外見はともかくとして、その強い思いは小学5、6年生のころ私の髪の毛を直毛からお蝶夫人のたて巻きロール風コロネ状の天然パーマに変えてくれたので
願えば叶うのだと子供心に最初に思った出来事でした。

無限のフリーエネルギー、若さの泉につながることを研究しているうちに、お蝶夫人にはなれなくとも、年をとることは恐怖ではなくなってきたのは、成果だったと思います。

もう一人ロシアにもリアルバービー、ヴァレリアさんという人がいて人間ばなれした姿はギョッとするくらいですが、

上記の二人と違うのはヨーガに傾倒していて、若さを保つために食べないブレザリアンだと公言、ヘルシー志向なところです。

この整形美女3人に共通してるのは出産していないところ。

子供は小さいうちは、母親がどんなにブサイクだろうとデブだろうと顔にシミやシワがあろうと白髪のおばあさんだろうと、気にせず愛情を求め、またこちらの愛情にも答えてくれる存在です。

物心ついて以来、ずっと女は外見でジャッジされ比較され続けるから、子からの無条件の受け入れは、私にとってもとてつもない癒しになりましたが、
そこから転がる岩のごとく転落して行く女の美容人生の落とし穴でもあるわけです。

そう考えるとやはり、子が成長し親離れする時が母親のブレザリアン化のタイミングなのかもしれない。

成長した子と、親の見分けが外見的にはつかないが、親には子にない何かがある。そんな野生動物に、いつしかお蝶夫人よりも憧れるようになっていきました。












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2017年9月 9日 (土)

「ババジと18人のシッダ―クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道」
も一連の流れで読んでみた。

これもまたけっこう分厚いが
面白いので1日で集中して読んだ。

馴染みのあるゴーラクシャやパタンジャリ、シャンカラの記載も参考になったが、

『あるヨギの自叙伝』には書かれていないような、著者が実際に体験した
『厳しい修行』とグルイズムを知って、

今は理不尽なグルに帰依しなくとも、搾取するような仲介者を要さずに、聖なる本質に繋がれる時代に生きていることにしみじみ感謝しつつ、

伊藤武先生のシヴァ講座等の知識も
復習しながらアーナンダな脳内歓喜物質ができるよう、内なる存在をグルとしていこうと改めて思った。





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2017年9月 7日 (木)

アーナンダミド満月会

昨晩、満月の夜に高尾で満月の瞑想会をやった。
脳松果体の再生と活性が、あらゆる飢えからの解放、プラーナで生きる上で不可欠らしいということで、日々実践、実験してることを分かち合う機会をいただいたのだ。

アグニホートラは地球と繋がり
世界中の有志とともに行うので
深いレベルでは、生きとし生けるもの全てとの一体感あるのだが、
夕方は参加する人がたまにいても
朝はまだいないので、
この気持ち良さを
物理的なレベルで分かち合える友を
切に半年くらい前に願ったら、
高尾駅徒歩3分の場所に
瞑想カフェなるものをオープンするというAさんと知り合ったのだ。

これもお導きとお店の庭にホーリーバジルや薔薇を植えにいったり、週一でアグニホートラを出張しに行くことになったのである。

その延長線上の昨日だったのだが
脳松果体の再生 活性のための
ホルモンであるメラトニンとセロトニンの話しから、
多幸感のマリファナホルモン?とも言われるアーナンダアミドをヨーガで
自ら合成、分泌する話になり、
Aさんと参加者がこの
アーナンダアミドという語を
気に入られて、(私も大好きである)
この満月の瞑想会の名称を
「アーナンダミド」
にしたらどうかとなった。

3人からスタートしたアーナンダミド満月会が、どのように今後成長して行くのか未知だが、これも高尾ダイナミック愛好会で満月に合わせて瞑想集会を2年続けてきて派生した感がある。

孤独と独りあることは違うと
いうが、シヴァのTシャツを着ると
時折亡霊のごとくやってきてくる
分離感が背中から癒されてくる。








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2017年8月31日 (木)

ダイナミック瞑想の前と後

高尾ダイナミック愛好会の後は、
その瞑想を考案したオショーの本を読む。体験あっての読書は生きた教えとなる。何せ膨大なる講話録があるのだ。

会の前はオショーの瞑想の
エッセンスの詰まった禅タロットで開示される気づきに黙想して
テーマを考える。

今はまだ会をオープンに公開して毎月参加者募集してるが、
この瞑想会の面白さに共鳴してくれる
レギュラーメンバーが増えて定員になったらイベントとしての告知をせずに
グループでやっていきたい。

それまでは毎回、禅タロットの意味するところとリーディングの勉強兼ねてテーマを決めてイベント形式で告知していこうと思う。

3時間の瞑想会の中では
たくさんの技法を組み合わせた
充実した内容で心身のリセット
半端ない。私も共催の方もたくさん、
このジャンルをライフワークとして学んできているプロの瞑想指導者だが、
千円という場所代のみの参加費で
シェアしているのは
お金に変えられない瞑想の体験と理解を深められて余りあるものがあるのと
、内容はディープでも間口は広く
気軽に体験してもらいたいからだ。

ジャンルを超えたダンスフリークと
瞑想的に歌って踊ることに
関心ある方、
人生をエンジョイしていきたい方
どうぞご参加ください。

高尾ダイナミック愛好会FBページ

https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/









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2017年8月30日 (水)

瞑想DJ

昨晩は高尾ダイナミック愛好会。
ダイナミック瞑想からのDJプレイでは皆踊り狂って最高。

これまで2年間やってきて試行錯誤多々あったが
3年目に入り、ますます気持ち良い瞑想としての歌い踊りになってきた。

思いきり心と体を動かしたあとのデス・メディテーションは
単なる死体のポーズではなく、深いレベルでのヨーガ、死から再生へと導かれる。

こんな面白くてディープな
3時間以上もあるプログラムが
千円でハーブティー飲み放題付きって
コスパ良すぎだが、
友人たちと楽しむパーティーなのだから会場費など必要経費が賄える分だけという共催の方の信念によるのだ。

レギュラーメンバー志望の方も少しづつ増えてきそうで嬉しい。
石の上にも三年、
継続するにはまず
自分が一番楽しむことだ。

高尾ダイナミック愛好会FBページ







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2017年8月29日 (火)

夜型の現代社会に、日の出前に起きてることは、最もアナーキーだと誰かが書いてた。
早起きにせよ徹夜にせよ
1日のうちで最も美しい時に眠って
いるのはもったいない。

昨日も朝5時前に高尾に出張アグニホートラしに行ったが、すでに中央線始発は動いていて、薄暗い中、駅に向かって歩いてる人たちとすれ違った。

出張先は東向きの朝日のあたるお店でアグニホートラと合わせてプラーナヤーマや、日の出拝みながらスーリヤナマスカーラなどヨーガも店主Aさんと一緒にやったり、一緒に店先に植えたホーリーバジルの収穫したり
神聖な時間に一緒に遊んでくれるAさんを神は使わせてくれたのだろうか。

さらにこの飽食の時代に
アナーキーというか進化系は、
ブレザリアンだ。

ダイナミック愛好会を
2年間欠かさず続けた自分への
ご褒美と息子との子離れ親離れ記念にになんとなく直感で参加したに
過ぎなかったが、
10年前にジャスムヒーンさんの本を読んでからの、魂のブループリント計画だったと思う。

これまでの変化として
プラーナを主食と意図することで
物理的な炭水化物の必要が減った。

それまで大量摂取してた
乳製品もたまに息子に付き合ってアイスクリーム食べる以外、ほとんどとらなくなった。

スナック菓子は食べなくなった。
バイキングレストランにも
息子とたまにいくが、食べることを
楽しみつつも以前のような
渇望感はなくなってきたが
エスニックな料理やその香りは今も大好物である。

義務で食事の支度をする必要が
なくなった分、料理することが純粋に楽しめるようになった。

純粋に食べることを(食べないことも)
楽しめるようになった。

ヴェジタリアン、特にヴィーガンやローフードはブレサリアン(呼吸食)
とグルメ(美食家)の間を繋いで
食の喜びを与えてくれるようだ。

体重は2-3キロ減ったに過ぎないが、
急激に減るとリバウンド必至なので
半年か1年くらいかけて身も心も
軽くなっていったらいいなと思う。

消化に使われるエネルギーが減って
おなかの不快感がなくなり
ヨーガアーサナや
走るのもかなりラクになった。

食べるために仕事をしていたのが
食費が十分の1に減ったことで
本当に好きなこと やりたいこと
に時間を使いたいと
思えるようになった。

以前は早起きのために早く寝る必要があったが、
夜遅くても短時間の睡眠で朝
日の出前にめざましなしで起きれる
ようになった。

ジャスムヒーンさんはたべものだけでなく、人類のあらゆる飢えからの解放について書かれているが、

先日、以前、シリーズを読んでいた無明庵EOの編集者?であるSさんが3月に他界されたのを知った。

最後に伝えたい言葉がサイトに載っていたのだが「どこまで行っても飢え
云々」でズッコケてしまった。

このシリーズを読破したのはちょうど
2004-5年頃だったか
出版元の中野ブロードウェイのまんだらけにまとめて買いに行ったのを覚えている。

そのころ日本では人類の次元上昇であるアセンションや、その流れの一つとしてワンネスブームも起きていたが、私はかえって自己の錯覚による分離感やマインドに苦しむ羽目になっていた。

無明庵EOシリーズのネガティヴで精神世界への皮肉タップリ、人間であることの絶望感に引きつりながら笑うような内容は、
毒をもって毒を制すブラックユーモア的面白さがあり
仲良しグループのワンネスよりも孤独な自分に合っていた。

しかし次第に本来の志向とこれらの本の影響で鬱や虚無感、この宇宙から金輪際消えて無くなりたい感が大きくなってしまった。
それは著者の意図するところだ。

どん底の絶望感から一か八かの賭けで、一筋の光明に至ったEOの覚醒への道は、万人向けではなく、ごく少数の人向けと断ってるとおり、
人間関係断ち切った修行者ならまだしも、
まだ小さい子供を健全に育て
明るい前向きな気持ちで仕事に子育てに邁進すべき時期に
厭世観に浸って
廃人化してしまっていたのである。

そういう精神状態だったからこそ
EOがコケにしてたOSHOの講話集を
読みこんでいく伏線になった。

どんなに回り道しても人生に無駄はないが、、
今となっては飢えから解放されていく道と対照的な故人の言葉に、ズッコけ
苦笑できたことに感謝が湧いてきた。


























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