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2018年1月12日 (金)

ダイエットの裏技(プラーナ)

朝9時、開店早々の地元のイトーヨーカドー。1階のガラス張りの明るいフードコートはお気に入りスペースだ。

朝一番に買い物に出ることなどなかったのだが、息子の登校に合わせて、朝一緒に家を出て、このイトーヨーカドーに途中寄るのが平日は日課になった。

おはようございます、いらっしゃいませと爽やかな雰囲気でお店の人が出迎えてくれる中、値引きされた食品をハイエナのように見つけて回る。

休憩所ではコーヒーを飲んだり、朝のひと時を一人静かに過ごしてる人ばかり。ランチタイムの騒々しさからすると別世界だ。

ポットにお湯も用意されているので、好物のトムヤムクンのカップ麺を購入して食べることもできる。

自由に使える、沢山ある椅子とテーブル席。冬は暖かく、夏は冷房が効いていてありがたい。

このイトーヨーカドーの中にある小さな本屋で、5年前に伊藤武先生の「秘伝 マルマツボ刺激ヨーガ」の本を見つけたと思うと感慨ぶかい。

それがきっかけで、マルマヨーガの12回講座を修了し、サンスクリット語、ハタヨーガの開祖ゴーラクシャ講座、シヴァサンヒター講座と学びながら、マルマヨーガを実践し、伝える機会も得てきた。

先日の西荻窪サハジャでのお試し講座で、アーサナを担当させてもらったが、今月20日から始まる連続講座でもアーサナ担当、スタッフとして参加できる僥倖をいただき、ワクワクしている。

そんな中、数日前に久しぶりに体重計に乗った。
断食明けしかも普段から食べる量も減ってるのだから増えて無いと思いきや、なんと2キロ近く増えていて愕然とした。

息子の冬休み期間は、朝のウォーキングもお休みになるし、初詣にもいかずにコタツでねそべって読書ざんまいで、普段にもまして動かなくなってはいた。

それでも週に2日は断食、それ以外は一日一食〜半断食で以前からすると半分以下に減ってるのだ。
お雑煮も餅抜きだったのに、、体重が増えてしまうミステリー、、ではなく、

30代以降は、基礎代謝量が落ちて太りやすくなり、歳を取るごとに拍車がかかる。
特に冬はアーユルヴェーダでもカパが増悪するので、有酸素運動や筋肉量を増やすために活発に体を動かしトレーニングしましょう、というのが定説だ。

歳をとって中年太りして、近所の温泉でよく見かけるゴリラの大群のようなおばさんたちのようになるか、
冬眠でもしたいのにムチ打って必死のトレーニングするかしか選択肢がないのでは、せっかく素晴らしい時代に生きているというのに、厭世観丸出しの人生になってしまう。

太って体が重くなるのは嫌だ。
かといって中年の悲哀から、やりたくもないトレーニングなどしたくない。

ここは少しでも楽に気持ちよく生きるために、発想を転換しよう。

基礎代謝量が減る、ということは物理的な食べ物の必要量が減ってきている、つまり少ないガソリンで走る燃費のよいハイブリットカーのように進化していることと同じと言えまいか。

経済至上ではお金のため、食って行くためだったら魂さえ売り渡すことだってするだろう。

しかし、ハイブリッドになってガソリン少なくなってくれば金銭の奴隷からも解放されてラクに生きられるのではないか。

プラーナ摂取率が上がり、
それが100%に近づくにつれ、食物としての栄養が必要無い状態となってくる、、とすれば
お金も時間も節約できて、その分をのんびりしたり、本当に自分のやりたいことに使えて経済の奴隷ではなく、人間らしく生活できる。

空腹自体はじつは気持ちいい。
出先で美味しそうな匂いが漂ってきたりして食欲を刺激されても、プラーナ呼吸法や嗅覚を使うことで、満足できる方法がある。

しかし美味しいものを味わう喜び、というのはまた別で、この味覚の虜になると、必要以上に食べてしまい、余分に蓄えられる脂肪の元になってしまうのだ。

昨日、丁寧に土鍋でご飯を家族のために炊いた。
自分は食べないつもりが、つい一口だけ、、が、とろろ昆布を乗せてお醤油垂らしたら止まらなくなってしまった。炊きたてご飯は至福の味だ。

生地から手作りする、餃子やピザ。 甘酒で発酵させるパン。家庭の味も既製品にはない満足感を与えてくれる。

冬場は土鍋に炭のようになった小石を敷き詰めて焼きいもを作る。
暖房兼ねて一石二鳥でもある。

エスニック料理の刺激的で風味豊かな味。
特に好物トムヤムクンは、前世の記憶を呼び覚ますかのごとくだ。
嗅覚だけで満足できるような域にはきていない。

が、プラーナはそれら五感を超える喜びであり、全ての栄養の源である、と定義される。

この無料・無尽蔵の愛のエネルギーで満たされて、お腹いっぱい、胸いっぱいのハッピー状態で生きている人たちが、ヨガナンダさんの『あるヨギの自叙伝』に出てくる。
過去だけでなく現在でも世界中で出現している。

脳の食欲と性的な満足を司ってるところは隣り合わせだという。
食べ物も性も物理的に依存になりやすいはずだ。

何であれ依存は不自由である。
しかしながら食べる喜びもまだ半分は楽しんでる今は、余分なカロリー、脂肪を燃焼させねばなるまい。

アグニホートラは物理的にも煙が不思議な満足感を与えてくれるので、ダイエットになるのではないかと密かに感じている。

さらにアンタルホーマ(火の呼吸法)で余分な脂肪も燃焼できるかも実験しよう。
寒い冬は出来るだけ亀のように動きたくない。
大いに食べて大いに動く、それはこれまでさんざんやってきたので、
もうそろそろこの無限ループから、
脱出したいのだ。
食べることだけが楽しみで入れ歯の老人として生きていくのか。

ヨーガやってるんだったらそんなお決まりパターンの人生ではなく
プラーナでも生きれる自由を享受してなんぼではないか。
最小の努力、いや努力ですらなくひたすら気持ちよくなりながら、
最大の結果が出るような、
少しでもこの世でラクに健康に生きられる方法はないのだろうか!?

ヨーガと一口で言っても肉体から精妙体と様々な次元の働きかけがあるが、
20代のころ、ヨーガとの陰陽のバランス取るためと、最新のトレーニング理論を学ぶため、スポーツクラブで研修しウェイトトレーニングのインストラクターとして働いていた。

(ミスマッチながら色々勉強になった。そのころのエピソードはまた改めて書きたい。)

肉体を大切にして鍛えるのも大事だが、究極にはプラーナで生きることが、ハッピーライフのスタートであると思う私にとって
プラーナの座であるマルマを意識するマルマヨーガとの出会いをくれたイトーヨーカドーには感謝なのである。

Facebookページ マルマヨーガ研究会










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2018年1月 8日 (月)

1.生きづらさと押入れの中のサマーディー

あなたは小学生のとき、
ドッチボールが好きだっただろうか?

小学生は何かといえばドッチボールに参加させられる機会ばかりだ。

休み時間も 体育の授業でも お楽しみ会でも 歓迎会でも 親睦会でも、ドッチボール。
逃げ惑う人にボールをぶつけて喜ぶ、
残酷で野蛮な行い。これをゲーム(娯楽)などと言いたくないが、、。

子供たちにとっては、机と椅子に縛られた時間の鬱憤ばらしの発散でもあるのだろう。
好きな子はドッチボールやるよーといえば歓声あげるだろうが、
私にとっては恐怖の地獄の時間だった。

今時では当たっても痛くないボールを使用するケースもあるようだが、
ビーチボールのような柔らかいボールなら、まだよかったのかもしれない。

40年前の小学校では硬くて当たると痛い、自分めがけて飛んでくる殺気のこもったボールは凶器だった。

晴れてると校庭でドッチボールができてしまう。雨ならやらないで済む。
晴れてたらほぼ毎日の拷問の時間。

今だったら、発想を転換して、殺気のこもったボールを、お金(やその他なんでも好きなものや叶えたい夢)が、ボールに姿を変えて、あなためがけて飛んできてるだと思って、怖がらずにしっかりボールを見てごらん、とかなんとか、恐怖におののいてた子供時代の自分に言ってあげたい。
少しはストレスがマシになったかもと思う。

毎朝雨が降ることを祈った。
晴れると絶望しながら学校に行った。
雨が降ればほっと安堵した。

大人になった今。晴れの日はああ、晴れてるとただ単純にそう思えるのが幸せだ。

しかし、心のどこかで、基底音のように物悲しい調べが背後で低く流れる時があるのは、きっとPSTD(その頃の精神的な古傷)のせいだ。

6年生の頃は、昼休みのドッチボールをやらないで済むように(強制でクラス全員参加しなければならなかった)

学級新聞作りの係りになって、一人教室に残って大きな模造紙に4コマ漫画など書いて過ごした。

疎外感はあったがドッチボールで恐怖の時間を過ごすより何百倍もましだった。

皆が普通に何の気苦労もなく楽しめることが、自分にはできなくて地獄であること。

人間世界、というか学校という狭い檻の中で生き苦しさがはっきりしてきたのはこの頃からだ。

ドッチボールは最たるものだが、
他にも学校ではヨーイドンのピストルの音も怖かったし、夏になると水泳があるのが憂鬱だった。クラスでは教師自ら特定の生徒を無視することを率先したり、優劣をつけて序列化し、生徒同志の仲間はずれや陰口など、理不尽で苦手なことがたくさんあった。

登校拒否は当時はまだ一般的ではなく、その選択肢は私にはなかった。
休み癖がつくからと熱が出ても学校に行かせる親だった。

勉強という名の繰り返しドリル、暗記など、数多くこなせば点数を取れるものは、機械的に自らやった。
学校で推奨されることで自分にできることはこれだけだった。

お誕生祝いや、お年玉で貰ったお小遣いでも本屋で問題集やドリルを買って、自ら取り組み親を驚かせた。

そんな目眩しで喜ばずに、小学生でこれは異常だ、と少しでも児童心理学的な洞察力、とまでは言わないが、
学校で受けているストレスを察する気持ちが親にあったならとは思う。

そんな生きづらさから逃れる方法は、
二つあった。

ロボットのように勉強に集中すれば、いい成績もとれて劣等感を埋め合わせることができる。

もう一つは布団の中で、自分の体の不思議を探求することだ。

最初は小学校よりさらに遡る。
物心ついたときにたまたま、真っ暗な押入れの中に入った時に、意識だけがどこまでも、境界なく広がっていく体験をしたのだ。

暗闇の中で体は見えず、消えてしまったようなのに、全てが自分であるかのような、宇宙の果てまでが自分になるのだ。

そろりそろりと襖を内側から閉めて行く時は、まだ怖さが勝るのだが、
完全に締め切って真っ暗になる。

と、いきなり世界は反転し、ポンと宇宙の無重力空間に自分が浮かんでる感じになり、そこは時間も空間もない。

いつまでも、親が家に帰ってくるまでの時間そうして過ごした。

闇に包まれる奇妙な安心感と、押入れから出ると生まれ変わったように妙にリフレッシュするのに嵌った。

体が大きくなって押入れに籠ることができなくなってからは、布団の中で同じような状態を再現するようになった。いわばヨーガの死体のポーズだ。

無限に広がる闇と同化し、さらに気持ちよくしていく方法を探るのがたのしかった。

私はアトピー性皮膚炎だったので、衣類はただれた皮膚にストレスを与える。
衣類が無い方がこの遊びの気持ちよさと開放感が増すこともすでに知っていた。
しかし親は布団の中で、このような秘密の探求をする子供をよくは思わない。

見つかって咎められるたびに、なぜ体に備わってる神秘的な機能を、自分で調べてはいけないのだろうか?と疑問だった。

アトピー性皮膚炎は肉体的にもこの世界にフィットしていないこと、
皮膚を通して異議申し立て、悲鳴をあげていたのだと思う。

親に連れられていった病院で、対処療法的にステロイド剤を塗るしか方法はなかった。

常に皮膚科通いの私に母親は「できもの会社の社長さんだね」と呆れ気味に言ったものだ。(小学生なのにそんな社長になりたかないわ!と今になって思う笑)

緊張と恐怖の学校と、かゆみと血の膿みの皮膚炎の繰り返しの毎日の中で、いつまでも平安の中でいられる【意識だけになる】一人遊びは、辛い体も心も忘れて逃れることができた。

全ての嫌なことから解放され、お金もかからず副作用もない安全な方法を、人生の早いうちに見つけられたのはラッキーだったと思う。

多分それを知らなかったら、遅かれ早かれ、痛みを和らげ麻痺させるけれども、心身に害を与えるような方法に頼らずには生きられなかったと思う。

この世界の桎梏から、神経症的なモヤモヤとストレスから逃れるために依存することになっただろう。

そんな非合法なドラッグを十代の終わりに友人におすそ分けしてもらって試したこともあるが、
すでに自己流だけでなく、インドの伝統的な瞑想にも入門していたおかげで
気持ち良くなる方法、トリップできる方法は知っていた。

薬物を使うよりも、その方が数段クリアに体験できることが分かり、はまらないで済んだのだ。

瞑想の気持ち良さを増幅させるか減少させるか、台無しにするか否か?が一つの選択の基準となった。

例えば合わないものを飲んだり食べたりすると、アトピー性皮膚炎は悪化するし、瞑想も落ち着いてできなくなる、となるとその逆を探っていくことが自分にはハッピーなのだと判断できる。

姉からは「歩くリトマス試験紙」とあだ名をつけられるくらい、ある意味、青にも赤にもはっきり現れるのだが、感度が良すぎるのも、一方では生きづらさを強調するやっかいものだった。

人並みになぜ、ふつうに楽しく生きられないのか。

麻痺させてしまった方がラクなのではと、合法的なリラックス法、お酒も煙草もガンガンに依存した時期もあるが、麻痺して感じなくなる代わりに、何かを引き換えにした感じがあった。

ともあれ、判断となるセンサーの働き、リトマス試験紙を、楽に生きることに役に立たせられるようになるには、まだ先のことだった。





























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2018年1月 4日 (木)

毎日が正月休みの人生へ〜新年の抱負

お雑煮に入れる大根とネギを取りに、近所で借りてる畑に行った以外、正月の三日はほとんど、こたつで図書館で借りた本を読んでいた。

これまでは初日の出を見にいったり、近所の神社へのお参りも毎年朝一番に行ってたが、
日の出前に起きて瞑想して、普段自分でプージャやホーマ(護摩)をしてると、聖なるものとの交流に満足してるせいか、あえて寒い中、初詣に出かける気がしないのだ。

引きこもりと言われる人の心情も分かるというものだ。
高尾山は今年もまたすごい人出だろう。ひと気がなくなってから行くかもしれない。

家族にちょっとした食事の用意をするのは、元々料理好きなのでいい気分転換だ。
2日は初断食して爽快だった。

これまでのように、食べ過ぎた過剰カロリーを消費すべく、出かけて歩いたり、
家でもユーチューブの減量ヒップホップ動画見ながら踊ったり、家庭用トランポリンで30分も1時間も飛び跳ねたりしてた(涙ぐましい)負のサイクルから外れて楽になった。
(ダンスもトランポリンも遊びでは楽しいが)

いっときの食の快楽と引き換えの体の重さ 倦怠感 腹に蓄えられる脂肪は、元々生きづらさを感じている人間にとっては、地上で生きるにあたり、ますます重苦しく、生きるのが辛く嫌になることに拍車をかけるものだ。

そして消費した分はまた働いて、終わりのないサイクルの果ての、病気 老化をたどる人間の一生。そんな人生は不毛だ。

お誕生日もそうだけど、祝祭日は日常生活とあまりギャップが無い方が自分には精神衛生上、いいような気がする。
といっても普段を祝祭日に近づけられたらいい、という意味でだ。
ギャップがあるほど辛くなるんじゃないかと思う。

毎日が正月休みだったら最高だ。
サザエさん症候群と同じく、三が日症候群なんてのもあるんじゃなかろうか。

読んでた本の内容は、非正規雇用のワーキングプアや貧困関連で、
新逆の意味で盆も正月もおちおちと休められない人々のルポだ。

自分自身20代半ばまで不安定な雇用状態の当事者だったので身につまされ共感する内容ばかりだ。

取り替え可能な労働者は、人権無視のパワハラセクハラあたりまえの世界で生きている。
私も奴隷のように働き、何度か突然の解雇もあった。
リストラという言葉が流行りだしたころである。
その頃私は、1ヶ月のうち休みは一日あるかないかで、早朝から夜まで、自分の人生、時間を切り売りして生きていた。

合間に通信制の短大で学んでいたので夜行電車で愛知県までスクーリングにも通っていた。

その頃、1995年はヨーガ団体O真理教の地下鉄サリン事件があり、インドやチベット密教がお茶の間で危険なものと流布されていた。

ヨーガ、瞑想、アーユルヴェーダ、
自分の学んでるのは、似ていても非なるものだと思っていても一般的に誤解を受けるのは必至な状況だった。

ももちろん親には全く理解されないので、自分で稼いで家賃を払い学費を捻出した。

誰にも理解されなくても
自分のやりたいことと、やるべきことが一致するその日に向けて、一人ポツネンと瞑想し働いた。孤独だったが
将来のビジョンは超越瞑想の教師として、世界平和に貢献することと明確だった。
何があろうと精神的には前向きだった。

1996年10月、タイのバンコクでアジア中の女性が集まる2週間くらいの瞑想合宿に参加したのが転機となった。

初めての海外だった。気だるい陽気の中、白亜の建物の中で瞑想と美味しいヴェジタリアン・タイ料理三昧だった。

コース途中、25歳の誕生日がマザーディヴァン(母なる自然)勝利の日という、何やら吉兆な日に当たっていて盛大にお祝いしてもらった。

帰ってきたら、2週間休みをもらってる間に、二つのアルバイト先から同時に解雇通知され、一挙に無収入となった。
その2年ほど前、部屋を借りるお金がなくて一時期ホームレスだったことがある。またもやホームレスに戻るかの瀬戸際だった。
当時はまだなかったが、今だったらネットカフェ難民だっただろう。

しかし捨てる神あれば拾う神ありだった。あれ以来、恩返しの日々と思って生きてるが、21年もたつと、あの解雇され途方にくれて歩いてた夜のことなど忘れてしまっていた。
貧困問題の本を読んで思い出すことができた。

心ある人が、様々なアプローチで社会へ現実的な取り組み、支援、貧困対策、提言、改革を行っている。
そんな中、私にできることはなんだろう。
全て金儲けで環境破壊などしったこっちゃない世界。
貧困や今のどうしようもない格差社会から抜けて、心豊かに生きる逆転の発想、価値観、既成概念を変えて心豊かに生きることができたら。

毎日が正月休み、毎日がお誕生祝いのような喜びの日々を送るための、裏技的な智慧をこれからも、探っていきたい。

私自身、これまで辿ってきたことを振り返り、実体験に基づいて以下16項目を書いてみようと思う。


http://kanako-laxmi1011.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/1-bee9.html">生きづらさと押入れの中のサマーディー

2 植物 香料の世界へ

3 管理教育とオルタナティブスクール

4 チェルノブイリとアングラパンクロック

5 ビートルズとサイケデリック・レボリューション。
瞑想のイニシエーション

6 母の死と瞑想への誤解

7 アトピー性皮膚炎とアーユルヴェーダ 〜ジョーティッシュと宝石療法

8 フィットネスクラブと現代人

9 洗脳とハタヨーガ、チャクラ瞑想 インドの寺院で

10 神の恩寵〜借金完済

11 存在の悲しみと大笑いの効用

12 結婚生活と自宅出産

13震災とアグニホートラとの出会い
灰の利用

14レイヴとダンス瞑想

15 ブレザリアニズムとプラーナの糸

16 生きる目的〜幸福な生と死へ
































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2017年12月27日 (水)

高尾ダイナミック愛好会vol.27

昨日はちょっと早いけど
2017年最後の瞑想会(高尾ダイナミック愛好会)でした。

4年くらい前にアグニホートラ瞑想会に来てくれてたTさんが、オショーの弟子だったので、一緒に地元でアクティブ瞑想会やろうという話になったのが始まりでした。

私も当時、一人でやってた「八王子ヨーガ愛好会」の音楽瞑想をもっとやりたいと思ってたところで、
Tさんが音の良いポータブルの音響システムを買ってくれ、私もDJ装置を導入したおかげで、
音楽を使う瞑想がより本格化したのでした。

それでも毎回が試行錯誤で、100パーセント満足できることはなく、
なにかしらミスだったり誘導についてもあー言えばよかった、選曲もあーすればよかった、というのは出てきます。

「ある特定の分野でたくさんのミスを経験した人のことを専門家という」

「表現することは赤っ恥をかくこと」

という言葉を読んだり聞いたりすると励まされます。

2年間やってきて、参加者も多かったり少なかったりで、一回参加して終わり、な人がほとんどですが、爽快感がやみつきとレギュラーメンバーも少しづつ増えてきて嬉しい。

Tさんが一人でも参加者がいればやる、と男気あることを言ってくれるのがこれまで続けてこれたところです。

ビジネスとしてやってれば、
需要のないことをやって採算取れなければ、続かないのがこの世界の習わしですが、

そもそも需要があるから、
人がたくさんくると見込んで
やってる類ではない、やりたいから、自分のためにやってる
ということを改めて明確に
したいと思います

万人向けの薄められたものほどつまらない、と思う自分がこれは面白い!と、こういう瞑想会だったら行きたいと思えるようなものをやってるので、
人数少なくて当然、アンダーグラウンド上等なのです。

これまで「説明する」「表現する」ということに苦手とめんどうくささと諦めが入り混じって黙する他ありませんでしたが単に「怪しい」(妖しい?)と一括りにされて終わるのも今年限りにしたいと思います。

次回は1/25(木曜)17:45〜21:00

https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/高尾ダイナミック愛好会










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2017年12月22日 (金)

トムヤムクンラーメン

物質的な食べ物を食べられないでも、
無料で無尽蔵のプラーナに栄養依存を移行していくことが、私にとっては、この地球上で人間として生きる桎梏から逃れる裏道だったということを昨日書きました。

今年7月のジャスムヒーンさんのワークショップに出てから一か月くらいは余韻が続いたのか、ほとんど食べないで済んでましたが、最近は週に2、3日のジョーティッシュの断食日以外は、惰性や習慣ではなく純粋に食べること自体、料理もさらに楽しんでます。
それでも以前の大食い時代からすると1/3以下に食費も減ってきました。

元々料理が趣味だったのですが
以前はアルバイトを朝昼夜と掛け持ちしていたので、パン屋やホテルのレストランなど、まかないで食事をいただいてました。

食費がかからずありがたかったですが、アトピー性皮膚炎の治療で菜食になってからは、自分でアーユルヴェーダ的に作ったベジタリアン料理を食べれる日がくるのを願っていました。

今は仕事場に住めるようになり、好きな食べたいものを作るのも(野菜を作るところから始める)食べないのも自由。

カップヌードルのトムヤムクン味は手軽にタイ料理を味わえていいのですが、自宅でもインスタントラーメンとトムヤムクンペーストを使って
野菜もたっぷり入り、いいとこ取りで
ラーメンが作れます。
冬場も鉢植えで育ててるパクチーを入れるのがご馳走の決めてです。

【簡単 美味しい トムヤムクン風味の
ラーメン】

1 前の晩に500ccの
浄水に昆布を入れてだしをとっておく

2 保温調理器のシャトルシェフの鍋に1を入れて沸騰前に昆布は取り出し、
キャベツ 大根 人参 カリフラワーなど季節の野菜と刻み生姜 月桂樹など入れて香り高いスープを作る

3 2のスープにトムヤムクンの元を好みで入れて溶かしたものでインスタントラーメンを作る

4 パクチーをちぎって乗せていただく

私はエビなし・インスタントラーメンもベジタリアン仕様の菜食バージョンですが、好みで色々投入したり、好きなラーメンを使って創造的にラーメンを楽しむことができます。



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2017年12月20日 (水)

桎梏を逃れる


>ヨーガ・スートラがいきなり現われたわけではありません。

バラモンのサーンキヤ哲学と、仏教の説一切有部(せついっさいうぶ)を折衷するかたちで、
このヨーガの金字塔は生まれました。

ハタ・ヨーガがいきなり現われたわけではありません。

ヨーガ・スートラからシヴァ派が生まれ、大乗仏教から金剛乗(密教)が生まれ、
シヴァ派と金剛乗の秘儀のなかから、この錬金術的なヨーガが抽出されました。

インドにあって、哲学とヨーガはつねに一体です。この多様な世界をどう理解するかが哲学。

その世界の桎梏(しっこく)から自由になるための手段がヨーガ。

以上、伊藤武先生の1day講座の案内より
http://yoga-viola.com/wpblog/2017/09/21/post-5416/http://yoga-viola.com/wpblog/2017/09/21/post-5416/

世界大百科辞典の「桎梏しっこく」について言及している、刑具の用語解説では、

>これらの主刑を執行する刑具のほか,付加刑や獄といわれる未決監における勾留や拷問のための刑具もあった。
枷(か)は乾木製または鉄製の首かせ,杻(ちゆう)は古くは

桎梏(しつこく)ともいう手かせ,足かせで,重さに等級がつけられていた。
尋問のためには訊杖(または訊囚杖,清代には竹板)という一定規格の杖があり,また夾棍(きようこん),指(さつし)(または子)という3本の棒とそれに通した縄より成り,脚,腕,指を挟んで責める道具があった。…

引用ここまで
ーーーーーーーーーーーーーー
とあります。

つまりは、この世界で生きる者が科せられている拷問具から、解放される手段がヨーガである、ということなんですね

最近、雨宮処凛さんの「アトピーの女王」という本を読んで、かつて幼少時から23、4歳まで重度のアトピー性皮膚炎に苦しんだ過去を思い出してました。

痒みと血と膿にまみれて、生きること自体が暗黒の拷問だった日々から、
徐々に改善したのは、アーユルヴェーダ医師の脈診により、なんとお肉とお魚を食べずに菜食になることと、
ターメリックを溶かし込んだゴマ油で患部をマッサージすることでした。

衣類も寝具も黄色くなってしまいましたが、お金をかけずに治すことができたのはラッキーでした。

雨宮さんの本ではアトピーという訳わからない皮膚炎に苦しむ人々の弱みに漬け込んだビジネスと藁にもすがる人々も紹介されています。

私はアトピー治療で菜食になる10代〜20代はじめまでは普通にアルバイト代が入ると、しゃぶしゃぶ食べ放題や回転寿しに行くのがささやかな楽しみでした。
そういった外食費は減って、
ベジタリアン料理の本を図書館でたくさん借りて自炊するようになり、それが人生の楽しみにもなりました。

最近はさらに菜食から断食(プラーナ食)に導かれたおかげでより「桎梏」から徐々に逃れてきた感があります。

食っていけなくなる、ということが
死を意味するのではなく、逆に浄化になり、健康に自由に快適になる、というの逆転の発想です。
お金の為に働く必要性が軽減して
時間を本当にやりたいことに使い、
好きな仕事、人に役立つことをビジネスライクではなく、非効率的であっても心を込めて行うことで満足感を得られます。

終わりなきサイクルの中で抜けられない手枷足枷となってるのは突き詰めれば、生存欲求からくる食べれなくなる=死への恐怖心です。

私はよく高校時代に学校を早退しては
誰もいない部屋で一人で死体のポーズをしていました。
ただ仰向けでボーっとするだけ、
まだ瞑想もヨーガも正式には入門してませんでしたが、体を傷つけることのない安全な死の体験だったと今は思います。

希死念慮のある方や、競争と生産、消費活動に追われて疲弊してる現代人。
娯楽で紛らわしながら生きることに行き詰まりと虚しさを感じている人こそ、ヨーガの死体のポーズで死ぬほどリラックスすることで、実際に命を絶たなくても済むケースがあるのではないかと思うのです。
少なくとも自分はアーユルヴェーダでアトピーを治し、ヨーガに出会わなかったら、生きていくことができなかった一人だと言えます。

ヨーガというとひと昔前は拝金主義なカルト教団、昨今では美容や健康のためのセレブリティを広告塔にしたリア充向けなものしかメディアでは目立ちませんが、
この世界に生きづらさや厭世観を感じている人。
手枷足枷の「桎梏」から逃れて、自由に生きれる裏技的な可能性があることを、生きることに疲れて死にたいと思ってる方と、真に生きたい、と願う人に伝えられたらと思います。















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2017年10月21日 (土)

似て非なるもの

推理小説のネタバラシが先にあったら、感動も半減するのかもしれません。

答えのわかってるクイズも、正解した喜びは味わえないとは思います。

謎だから、謎解きは面白いのです。

それでも、この世に生を受けた意味がわかったときには、これまで目的地のない電車に乗っていたような、目隠しして歩かされてきたような、ひっかけ問題に苦悶していたように思えてしまいました。

インターネット見せるには親は子に
年齢相応にフィルターかけるのと同じで、時が満ちたときに人間は真に生まれてきた意味をしるのかもしれません。

人生は謎解きゲームだという意味がやっと理解されました。

それ先に教えてくれたらもっとラクに生きれたのに 、、と思いましたが
考えてみれば、これまで誰かの言葉だったり本から、真に生きるとは真に死ぬこととみたり、的な逆説的なことはよく見聞するものです。

しかし単なる、生まれてきた人間全員に宿命づけられてる死ではなく、
似ていても180度違う死に方をするために生まれてきたということは、
前世というものがあるなら、次こそは!と思ったのかもしれません。

自殺願望と、自らの意思で魂の故郷へと戻っていくマハサマーディの成就は、似ていても、真逆に百八十度違います。

飢餓とプラーナで生きてることも、物理的な食べ物を食べないのは同じでも、恐れと幸福感という全く真逆の異なる意識状態です。

世界平和も、不安や恐れから武器や兵器で武装した争いのない状態と、無敵性故に武装の必要性から解放されたワンネスの意識状態は似て非なるものです。

そのような状態へ人類が進化していく今は途中ではありますが、数百年後には、実現している未来を思い描いていきたいと思います。






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2017年10月16日 (月)

10/6以来のアグニホートラ日誌です。
日々、書きたいことは溢れてきますが
視力回復のためにディスプレイを見るのをできる限り必要最低限にしているので、今後長文での投稿は減っていきそうです。

そのぶん、日々の生活で出会う人や身近な家族との付き合いの中で、私なりに伝えたり表現していきたいと思います。

先日誕生日で46年目迎えて、やっと
自分の生まれた意味、魂の目的がわかったことが、とても落ち着いた気持ちにさせてくれました。

誕生日が嬉しいのは子供のうちだけで
20歳過ぎたあたりから歳をとることは死に近くづくことと、あんまり嬉しくなくなって来る方が多いと思います。

私の場合は15、6の時にはそれが出てきて、18歳を迎える前にはかなり絶望的だったのを覚えてます。

今風に言えば中二病なのかもしれませんが、大人になりたくなかったのです。

当時チェルノブイリの原発事故があったりして、地球環境のおかれてる状況を知って、厭世的なノーフューチャーになっていったのもあります。

けれども、若くしてこの世をドロップアウトすべく、ドラッグで死んで行くパンクロッカーのようにもなれず、
なんとか、生老病死を繰り返す牢獄のような人生から、抜け出す秘策があるんじゃないか、という揺るぎない直感がありました。

そのためには学校に行く時間がとてつもなく無駄に思えて、探す旅に出るべく高校3年の夏休み前に中退したのです。

シュタイナー教育を偶々、高校の現代国語の副読本通して知ったのが大きな天啓でした。

それから瞑想を習い、海外にもいくつもりが、母が癌でその1年後には亡くなり、留学への意欲が有耶無耶になって、東京の美術学校に籍を置いてアルバイトしながら、たくさんの本を読み魂に響く音楽を探しました。

当時住んで働いてた、中野〜東高円寺 北新宿あたりはそれをするのにぴったりな環境で、古本屋やレコード屋を周りながらサイケデリックに設えた古アパートの部屋で一人暮らしを満喫しました。

しかし15、6で始まった生老病死への漠然とした恐れは毎年誕生日が来るたびに根強くなっていきました。

基本的に孤独なのですが、
祝ってくれる人がいても
ますます孤独感が強まるのです。
一年で最もおめでたい日がちっとも
おめでたいとは思えない、
人と違う考えの自分に、孤独と分離感がマックスに高まっては落ち込むのです。

時間が1分1秒進むのが死へのカウントダウンに思えていてもたってもいられなくなり、
大抵、布団の中で死体のポーズで、
頭を空っぽにすべく、やり過ごすのです。

そう言えば高校生のときも、学校に行きたくなくて、親が出かける頃コッソリ戻って、制服も脱がずに死んだように
死体のポーズで布団の中でじっとしているのが至福でした。

まだ瞑想もヨーガも習う前ですが、どんだけ死体のポーズが好きなんだっ(笑)

生まれついてのヨーギンなのでしょうか。

そんな感じで、結婚しても子供ができても、美味しいもの食べても、誕生日というのは自分がこの世に生まれてきた儚さ、無意味さがクローズアップされる虚しい日に変わりはなかったのですが

今思うとまさに、暗闇に直面すべき魂の青写真を思い出す、真に祝福すべき前夜が毎年巡ってきてたんだな〜と思います。

なぜなら、やっとですが
最近、自分が生まれてきた意味がハッキリ分かり、言語化することができたんです。

これまで超越瞑想、ヨーガ、音楽、アート、(好きなのは昔からピーターマックスとアウトサイダーアート)ワンネス寺院に アグニホートラにオショーの瞑想に プラーナで生きること、最近はそこからヨーガナンダさんの本も読んで人間の可能性に開眼してましたが、
私が心から望んだ【生きる智慧】を学ぶように導いてくれた、大いなる存在が、いつも私を守護してくれて養ってくれてたことが明確に確信されたんです。

それらがなんのためなのか?
という究極のところがわかって今
とてもスッキリしてるのです

学校の勉強も目的があって始めて学ぶ意義が出てくるのです。

大学受験のための高校の授業や試験は、自分の本当に学びたいことは、既存の大学にはないことが分かってた私にとって無意味極まるものでした。
だからこそ、シュタイナー教育に衝撃を受けたんだと思います。

私は今、これまで様々に自分が興味持ったり導かれたことの目的が分かりました。
それはまるでコインの表裏のように
すでにあるのに背面で気付かれなかったのです。

ハッピーに生きることを切望した
B面だったわけです。




































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2017年10月 6日 (金)

朝起きるとまず、シャトルシェフ(保温調理器)に、昨日用意しておいたスープストック(季節の野菜をスパイスと少しのギーで作る)に、一晩水に浸してぷっくり膨らんだ、ひよこ豆を投入。
火にかけ、またシャトルシェフに戻しておくと昼には美味しい豆スープができてる。器によそってから挽きたての黒胡椒と岩塩を振りかける。

まいてもないのに、
毎年畑に出てくれる、
香り高い荏胡麻の葉っぱと穂。
醤油とすりゴマ七味唐辛子で漬けておく。

赤紫蘇も塩で揉んで梅干しに載せておくと赤く染まっていく。

料理が好きなんだな〜と改めて思う。
美味しくてつい食べ過ぎてしまう。

週2日は断食で、その前後も
減食で、普通に食べる週一回も
以前に比べたら少なくなった。

料理して食べること
食べないこと両方
が味わい深くなってきている。





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2017年9月18日 (月)

ジョーティシュでは出生図から、運命改善と健康のために断食を特定の曜日に勧める場合があります。

私の場合は土曜と火曜で、
ここのところ随分食べる量も減ってヴィーガン&ローフード率も高まりました。

前後日からさらに減らして、その曜日火曜と土曜は完全に水のみに、ラクにできるかと思いきや、そうもいかず、というか逆に辛くなってしまい意外でした。

断食を意識してない、普段の方が食べないことを楽しめられたのはなぜなのだろう?

自ら制限したり、周囲からプレッシャーかけられると、かえって逆効果的になるようです。

運命改善のために、苦行的に食の喜びを断とうとすると、無理が生じるのです。

無理しても反動で食べすぎるのではないかと思います。

食欲を抑圧しようすると、格闘することになり、食べることで罪悪感すら生じてしまっては本末転倒、元の木阿弥だになってしまいます。

気持ちよすぎて食べることを忘れてしまうような、
呼吸だけで十分な境地になり自然と食べない状態になることこそ目指すところです。

なんでも、追い込むときも必要だけど、一生それを続けられるのか?続けたいのか?を
自答しながら長期的に取り組んでいこうと思います。




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