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2017年9月18日 (月)

ジョーティシュでは出生図から、運命改善と健康のために断食を特定の曜日に勧める場合がある。

私の場合は土曜と火曜なのだが
ここのところ随分食べる量も減ってヴィーガン&ローフード率も
高まってるので、前後日からさらに減らして、その曜日は完全に水のみにラクにできるかと思いきや、そうもいかずというか逆に辛くなってしまい意外だった。
意識してない普段の方が余裕で食べないことを楽しめられた。

自ら制限したり周囲からプレッシャーかけられると、かえって逆効果的になることがハッキリわかった。

運命改善のために苦行的に食の喜びを断とうとすると、無理が生じる。

できれば達成感はあるだろうが
断食終了後に反動で食べすぎるだろう。

食欲を抑圧しようすると格闘することになり、食べることで罪悪感すら生じてしまっては元の木阿弥だ。

気持ちよすぎて食べることを忘れてしまうような、呼吸だけで十分な境地になり自然と食べない状態になることこそ目指すところだ。

なんでも追い込むときも必要だけど、一生それを続けられるのか?続けたいのか?を自答しながら長期的に取り組んでいきたい。




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2017年9月11日 (月)

世界の飢餓問題に心痛めるか、遠い国のことだと無関心になるか。

もっと卑近なことだが、自分が食べなくなったぶんを家族に回せるようになってきて、特にお菓子は以前は息子のぶんまで争って食べていた(苦笑)のがいまやなくなった。

美味しそうな料理の香りだけで満足できるようになった。
自分は食べなくとも料理するだけで幸福感と満足感がある。

スーパーの食料品売り場で
家族のための食材を買うため歩きながらふと思ったのだが
子供が産まれた時点で母親は徐々に食べる量減らして、
子供が食べ盛りになったら、
自分の分も食べてもらう。
そして徐々に量を減らして死期を迎える頃にはブレザリアンになってれば、ちょうどいい死に方ができるのではないだろうか?

飽食の日本に住む主婦の多くは中年太りや様々な老化現象、病気に苦しむ。
肉体の成長期はとうに過ぎてるのに
子供といっしょになって、もしくはそれ以上に食べまくっていれば無理もない。

ところで整形依存、、というか
外見の美にこだわる美のあくなき
追求者たちがいる。

作家の中村うさぎさんは美容整形だけでなく様々な依存症を経ている。昔から好きだが最近難病により臨死体験をされて、ますます興味深い。

整形サイボーグのヴァニラさんは
たまたま自伝書的なのを数年前に立ち読みした。テレビに出たのもたくさんユーチューブに出てる。

新しいのも含めて見直したが、
美のためなら死んでもいいという過激なところは、悟りのためなら命を落としても構わない求道者のようだ。

外部からは病んでる、精神科いけという声が多いようだが、その通りで美容への脅迫的依存症、ある種の醜形恐怖症なのだろう。

中村うさぎさんもヴァニラさんも世間の健康法とは離れたところで精一杯濃く生きている。

お二人とも夜型でヴァニラさんはインタビューによると夜中の3時にに肉料理を食べてたり、ペットに蛇とコウモリを飼ってることなど一般的には不気味なのだろうがユニークだ。

子供の時ブサイクでいじめられたのでフランス人形目指したそうだが、いじめれたのは外見というより、人と違うところや美しい声が象徴するクリスタルチルドレン的なピュアさだったのではないだろうか。
人間的な外見と内面のギャップに苦しんだのだろう、自分がなくなって消えてしまいたいと言われている。
それは私も同じだった。
依存先が美容整形ではなく瞑想だっただけだ。

痛い思いしてお金払ってする整形手術での美の追求は私の人生にはなかったが、美への憧れは子供の時から人一倍あった。フランス人形というより
エースを狙えのお蝶夫人みたいに大人になったらなりたい、と本気で心に決めていたのである(笑)

外見はともかくとして、その強い思いは小学5、6年生のころ私の髪の毛を直毛からお蝶夫人のたて巻きロール風コロネ状の天然パーマに変えた。
願えば叶うのだと思ったものだ。

今でもずっと子供の時の憧れがあるから、美容整形とは違う方向を模索してきた。
無限のフリーエネルギー、若さの泉につながることを研究しているうちに、お蝶夫人にはなれなくとも年をとることは恐怖ではなくなってきたのは、成果だったと思う。

もう一人ロシアにもリアルバービー、ヴァレリアさんがいるが、
上記の二人と違うのはヨーガに傾倒していて若さを保つために食べないブレザリアンだと公言している、ヘルシー志向なところである。
この整形美女3人に共通してるのは出産していないところだろうか。

子供は小さいうちは、母親がどんなにブサイクだろうとデブだろうと顔にシミやシワがあろうと白髪のおばあさんだろうと、気にせず愛情を求め、またこちらの愛情にも答えてくれる存在である。

物心ついて以来ずっと女は外見でジャッジされ比較され続けるから、子の無条件の受け入れは癒しであるとともに、そこから転がる岩のごとく転落して行く女の美容人生の落とし穴でもある。

そう考えるとやはり、子が成長し親離れする時が母親のブレザリアン化のタイミングなのかもしれない。

成長した子と親の見分けが外見的にはつかないが、親には子にない何かがある。そんな野生動物に、いつしかお蝶夫人よりも憧れるようになっていった。










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2017年9月 9日 (土)

「ババジと18人のシッダ―クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道」
も一連の流れで読んでみた。
これもまたけっこう分厚いが
面白いので1日で集中して読んだ。

馴染みのあるゴーラクシャやパタンジャリ、シャンカラの記載も参考になったが、

『あるヨギの自叙伝』には書かれていないような、著者が実際に体験した
『厳しい修行』とグルイズムを知って、今は理不尽なグルに帰依しなくとも、搾取するような仲介者を要さずに、聖なる本質に繋がれる時代に生きていることにしみじみ感謝しつつ、
伊藤武先生のシヴァ講座等の知識も
復習しながらアーナンダな脳内歓喜物質ができるよう、内なる存在をグルとしていこうと改めて思った。





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2017年9月 7日 (木)

アーナンダミド満月会

昨晩、満月の夜に高尾で満月の瞑想会をやった。
脳松果体の再生と活性が、あらゆる飢えからの解放、プラーナで生きる上で不可欠らしいということで、日々実践、実験してることを分かち合う機会をいただいたのだ。

アグニホートラは地球と繋がり
世界中の有志とともに行うので
深いレベルでは、生きとし生けるもの全てとの一体感あるのだが、
夕方は参加する人がたまにいても
朝はまだいないので、
この気持ち良さを
物理的なレベルで分かち合える友を
切に半年くらい前に願ったら、
高尾駅徒歩3分の場所に
瞑想カフェなるものをオープンするというAさんと知り合ったのだ。

これもお導きとお店の庭にホーリーバジルや薔薇を植えにいったり、週一でアグニホートラを出張しに行くことになったのである。

その延長線上の昨日だったのだが
脳松果体の再生 活性のための
ホルモンであるメラトニンとセロトニンの話しから、
多幸感のマリファナホルモン?とも言われるアーナンダアミドをヨーガで
自ら合成、分泌する話になり、
Aさんと参加者がこの
アーナンダアミドという語を
気に入られて、(私も大好きである)
この満月の瞑想会の名称を
「アーナンダミド」
にしたらどうかとなった。

3人からスタートしたアーナンダミド満月会が、どのように今後成長して行くのか未知だが、これも高尾ダイナミック愛好会で満月に合わせて瞑想集会を2年続けてきて派生した感がある。

孤独と独りあることは違うと
いうが、シヴァのTシャツを着ると
時折亡霊のごとくやってきてくる
分離感が背中から癒されてくる。








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2017年8月31日 (木)

ダイナミック瞑想の前と後

高尾ダイナミック愛好会の後は、
その瞑想を考案したオショーの本を読む。体験あっての読書は生きた教えとなる。何せ膨大なる講話録があるのだ。

会の前はオショーの瞑想の
エッセンスの詰まった禅タロットで開示される気づきに黙想して
テーマを考える。

今はまだ会をオープンに公開して毎月参加者募集してるが、
この瞑想会の面白さに共鳴してくれる
レギュラーメンバーが増えて定員になったらイベントとしての告知をせずに
グループでやっていきたい。

それまでは毎回、禅タロットの意味するところとリーディングの勉強兼ねてテーマを決めてイベント形式で告知していこうと思う。

3時間の瞑想会の中では
たくさんの技法を組み合わせた
充実した内容で心身のリセット
半端ない。私も共催の方もたくさん、
このジャンルをライフワークとして学んできているプロの瞑想指導者だが、
千円という場所代のみの参加費で
シェアしているのは
お金に変えられない瞑想の体験と理解を深められて余りあるものがあるのと
、内容はディープでも間口は広く
気軽に体験してもらいたいからだ。

ジャンルを超えたダンスフリークと
瞑想的に歌って踊ることに
関心ある方、
人生をエンジョイしていきたい方
どうぞご参加ください。

高尾ダイナミック愛好会FBページ

https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/https://m.facebook.com/fullmoonmeditationparty/









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2017年8月30日 (水)

瞑想DJ

昨晩は高尾ダイナミック愛好会。
ダイナミック瞑想からのDJプレイでは皆踊り狂って最高。

これまで2年間やってきて試行錯誤多々あったが
3年目に入り、ますます気持ち良い瞑想としての歌い踊りになってきた。

思いきり心と体を動かしたあとのデス・メディテーションは
単なる死体のポーズではなく、深いレベルでのヨーガ、死から再生へと導かれる。

こんな面白くてディープな
3時間以上もあるプログラムが
千円でハーブティー飲み放題付きって
コスパ良すぎだが、
友人たちと楽しむパーティーなのだから会場費など必要経費が賄える分だけという共催の方の信念によるのだ。

レギュラーメンバー志望の方も少しづつ増えてきそうで嬉しい。
石の上にも三年、
継続するにはまず
自分が一番楽しむことだ。

高尾ダイナミック愛好会FBページ







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2017年8月29日 (火)

夜型の現代社会に、日の出前に起きてることは、最もアナーキーだと誰かが書いてた。
早起きにせよ徹夜にせよ
1日のうちで最も美しい時に眠って
いるのはもったいない。

昨日も朝5時前に高尾に出張アグニホートラしに行ったが、すでに中央線始発は動いていて、薄暗い中、駅に向かって歩いてる人たちとすれ違った。

出張先は東向きの朝日のあたるお店でアグニホートラと合わせてプラーナヤーマや、日の出拝みながらスーリヤナマスカーラなどヨーガも店主Aさんと一緒にやったり、一緒に店先に植えたホーリーバジルの収穫したり
神聖な時間に一緒に遊んでくれるAさんを神は使わせてくれたのだろうか。

さらにこの飽食の時代に
アナーキーというか進化系は、
ブレザリアンだ。

ダイナミック愛好会を
2年間欠かさず続けた自分への
ご褒美と息子との子離れ親離れ記念にになんとなく直感で参加したに
過ぎなかったが、
10年前にジャスムヒーンさんの本を読んでからの、魂のブループリント計画だったと思う。

これまでの変化として
プラーナを主食と意図することで
物理的な炭水化物の必要が減った。

それまで大量摂取してた
乳製品もたまに息子に付き合ってアイスクリーム食べる以外、ほとんどとらなくなった。

スナック菓子は食べなくなった。
バイキングレストランにも
息子とたまにいくが、食べることを
楽しみつつも以前のような
渇望感はなくなってきたが
エスニックな料理やその香りは今も大好物である。

義務で食事の支度をする必要が
なくなった分、料理することが純粋に楽しめるようになった。

純粋に食べることを(食べないことも)
楽しめるようになった。

ヴェジタリアン、特にヴィーガンやローフードはブレサリアン(呼吸食)
とグルメ(美食家)の間を繋いで
食の喜びを与えてくれるようだ。

体重は2-3キロ減ったに過ぎないが、
急激に減るとリバウンド必至なので
半年か1年くらいかけて身も心も
軽くなっていったらいいなと思う。

消化に使われるエネルギーが減って
おなかの不快感がなくなり
ヨーガアーサナや
走るのもかなりラクになった。

食べるために仕事をしていたのが
食費が十分の1に減ったことで
本当に好きなこと やりたいこと
に時間を使いたいと
思えるようになった。

以前は早起きのために早く寝る必要があったが、
夜遅くても短時間の睡眠で朝
日の出前にめざましなしで起きれる
ようになった。

ジャスムヒーンさんはたべものだけでなく、人類のあらゆる飢えからの解放について書かれているが、

先日、以前、シリーズを読んでいた無明庵EOの編集者?であるSさんが3月に他界されたのを知った。

最後に伝えたい言葉がサイトに載っていたのだが「どこまで行っても飢え
云々」でズッコケてしまった。

このシリーズを読破したのはちょうど
2004-5年頃だったか
出版元の中野ブロードウェイのまんだらけにまとめて買いに行ったのを覚えている。

そのころ日本では人類の次元上昇であるアセンションや、その流れの一つとしてワンネスブームも起きていたが、私はかえって自己の錯覚による分離感やマインドに苦しむ羽目になっていた。

無明庵EOシリーズのネガティヴで精神世界への皮肉タップリ、人間であることの絶望感に引きつりながら笑うような内容は、
毒をもって毒を制すブラックユーモア的面白さがあり
仲良しグループのワンネスよりも孤独な自分に合っていた。

しかし次第に本来の志向とこれらの本の影響で鬱や虚無感、この宇宙から金輪際消えて無くなりたい感が大きくなってしまった。
それは著者の意図するところだ。

どん底の絶望感から一か八かの賭けで、一筋の光明に至ったEOの覚醒への道は、万人向けではなく、ごく少数の人向けと断ってるとおり、
人間関係断ち切った修行者ならまだしも、
まだ小さい子供を健全に育て
明るい前向きな気持ちで仕事に子育てに邁進すべき時期に
厭世観に浸って
廃人化してしまっていたのである。

そういう精神状態だったからこそ
EOがコケにしてたOSHOの講話集を
読みこんでいく伏線になった。

どんなに回り道しても人生に無駄はないが、、
今となっては飢えから解放されていく道と対照的な故人の言葉に、ズッコけ
苦笑できたことに感謝が湧いてきた。


























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2017年8月25日 (金)

【神々の食べ物/ジャスムヒーン】の中でクリヤヨガについて書いてる箇所があり、あるヨギの自叙伝を読み返してた流れで昨日、通信教育をアメリカの本部に申し込んだ。

受講費用は必要経費のみで
お金ではなく継続できる
熱意が必要なようだ。

元々あるヨギの自叙伝は夫の愛読本なので、申し込んだ旨伝えたら、
感心されるかと思いきや
あれこれやらないで一つの瞑想を極めたら、と元TM瞑想の教師としては、当然のセリフだったのだろうが、言われて心外だった。

TM瞑想の上級のプログラムは、
パタンジャリのヨーガスートラを純粋意識の中でリサーチするシディというテクニックで、受講するのにはTM瞑想を最低でも規則的に半年以上だかやって、
通いと集中した2週間もの合宿で構成されてるので
全てマスターするのに1年くらいかかったような記憶がある。

受講費用も、本気度を試されるというか、当時20代前半でアルバイト生活の私には相当ハードルの高い金額だったが、かなり無理強いし、熱望して受講した。
1994、5年ころ世間ではO教団の事件でヨーガが肩身が狭かったころだ。
当時は新宿の薄暗いアパートに一人暮らしだったが会場が近かったのでアルバイトの合間を縫って自転車で10分もしない距離だった。

その後数年TMシディプログラムを人生の最優先事項にすえて、熱心にフルプログラムを実習した。
瞑想前のアーサナの時間抜いても1時間半はかかるので朝夕で3時間以上を
一人瞑想に取り組んでいた。

それだけの時間を今は持てないが、
できる範囲で続け、世界平和のためのルート1%効果を信じて、毎月仲間とグループ実習もやっている。

が、今はもっとシンプルに自由に、
日の出と日の入りにただ座り、時間を忘れて、一体となっていくアグニホートラが、自分にとっては一番合ってる。

あれこれ中途半端なのは論外だが、一つのテクニックに固執することなく、役立テクニックを補足したり連動したり、バリエーション豊かに楽しめばいいと思ってる。

オショーのダイナミック瞑想会も月一で3年目、マルマヨーガやチベット体操も実習してるし、ワンネスディークシャのインストラクターとしても日々日常生活で内観をしたりチャクラ瞑想もやっている。

確かにそれぞれバラバラに
取り組んでたころは、ヨーガという名の元で振り幅広く、分断されていたが

後期密教の時代に各種のヨーガをミクスチャーし、ハタヨーガを創始したゴーラクシャの存在を伊藤武先生の講座で知ってから、統合する方向にいった。

一つを継続して極めるのはもちろん大事だが、
幅を広く様々な次元の教えや先生に出会って、自分なりのヨーガというのを見つけるプロセスに今自分はいるのだろう。

TMシディの合宿では奥義を学ぶ気合の入ったヨーギンたちが集まるかと思いきや、
良くも悪くも全くもってそんな雰囲気はなく、私含めて普通の一般市民ばかりで肩透かしだった。

合宿中に食欲が普段より出て
食事の時に大食らいになってることを担当の先生に言ったら、ちょっと考え込まれてしまった。
今だったら、内臓を休めて瞑想にエネルギー注げるよう断食して臨むくらいでちょうどよかったのだと思うが
そんな考えには程遠かった。

そんな感じでTM瞑想通してヨーガに入門して以来、それ以前子供の時ヨーガという概念を知る前からサマディの体験をしていたが、

全ては【聖なる栄養につながる プラーナで生きるという】魂の青写真の実現のために一本の貫く見えない糸、意図によって全て有機的に繋がっていき、

全てはそれに役立つか否かという
全く個人的な判断基準となり迷いが
なくなってきた。








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2017年8月24日 (木)

スピリチュアル・アビュース(虐待)

昨日たまたま行った
図書館の新刊コーナーに
「カルト宗教事件の深層/
藤田庄市著」という新しい本があった。
以前から調査してる分野なので
最新情報に触れるべく借りてみた。

昨日書いた、スピリチュアル・ビジネスどころではない、桁はずれのスピリチュアル・アビュース(霊的虐待)の事例のオンパレード、全てノンフィクションな霊的虐待の数々。
ページをめくるのが恐ろしい事例ばかりだ。

似て非なるとはいえども
同じヨガをやってる者としてはO教団の真面目な元幹部には関心あるし、ミュージシャンToshil氏の【洗脳】も出てすぐ読んだが
玉石混交のスピリチュアルな世界においてで、
まさにToshil氏の受けた被害は最低最悪だと怒りに燃えてしまう。が、冷静になってこれを反面教師とさせてもらうしかあるまい。

ちょうど「あるヨギの自叙伝」
もここのところ読み返してたので
スピリチュアル本の珠玉を並行できてこの世界への嫌悪感だけで終わらず済んだ。

スピリチュアルに限らず最高と最低がごった煮で共存している世界で
生きているんだと改めて思う。

泥水から茎を伸ばして清純な花を咲かせる蓮の花はまさにこの世の象徴だ。



日々断片的に浮かんでくる事を、読み手のことを考えずに思うままに書いてる。推敲もしない文章をブログに書いて、実際に知人に読まれると恥ずかしいものだ。

あるヨギの自叙伝011ka-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4627999313&linkId=3b3c5836e29d4500fd67f5ce693d86d9">

カルト宗教事件の深層
藤田庄市
http://amzn.to/2isNnQG

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2017年8月23日 (水)

スピリチュアルな支払い

仕事の対価で生計立てられることが
プロだというなら
ジョーティシュとアーユルヴェーダの知識とヨーガの実践を元に
宝石の選定、装身具へのデザイン、納品時のプージャ、瞑想法のご指導まで担当し、代金以上のものを提供するよう全力で最善を尽くしてるlaxmi ltd.における私の宝石療法の仕事はプロだといえるだろう。

だが、お金を一銭も貰わない人が
プロじゃないとも言えまい。
例えばアマチはお金をとって瞑想を
教えたりはしないが、
生きたホンモノのカルマヨーガの教師だ。

アグニホートラも全て無償で行い
聖灰は必要とする人にお分けするのが
先生との約束であり、

ワンネス寺院もスピリチュアルと利益追求金儲け主義なビジネスは相容れないというのが本来のコンセプトだが、
地球規模のプロジェクトのためか
いまや相当、インドの外国人向けコースは高額となっている。

私は初期のコースに無料で参加した上に、その後もほとんどお金を払うことなくたくさんのことを学び、仕事場件住まいを奇跡的に現実化していただいたのだから、その報いとして人の3倍無償で働くのは当然だと言える。

スピ系の胡散臭いところは
必要経費を賄う以上の
高額でビジネス的な拝金主義を
正当化してる人たちだ。

スピリチュアルに金額はつけられない
プライスレスなのをいいことに
罪悪感が麻痺してるのだろうか。
金銭の奴隷となって
依存関係に陥ってるなら そこから自由になる本物の霊性開発からすると
本末転倒である
大金取るなら全て人類に貢献するために有効に利用されるのみだと思う。

自分が習得したり学ぶのに大金投入してるので、元を取るために
高額設定せざるを得ない悪循環があるのだ。

学ぶ側からすると、無料のものは価値がなく高いほど価値があるような錯覚に陥ってたり
(これはダイヤモンドに世界的な価値を一定させてる企業の思惑や、頻繁にテレビCMで流れる企業の製品に信用してしまうのとと同類だ)

払った分だけだ貰うというのは
この3次元世界においては自然法則
なので、支払って貰うのはその人のためというのも真実である。

しかし真の先生は金銭としてだけでなくその人の熱意を最大の支払として
認めたのではないだろうか?

【あるヨギの自叙伝】にはそんなエピソードがたくさん出てきて面白い。
















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